遍路紀行

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遍路紀行 その10 恩山寺〜生名 (H16.6.11)



雨の恩山寺


6月11日


梅雨前線に覆われている上に、前日から台風4号の接近。

10回目にして初めての雨遍路となることが確定。

♪雨 雨 降れ降れ♪ などとはしゃいだ人がいたとかいないとか。

それと今回は、8時半出発は遅いではないかとの多くの意見もあって、7時半に出発しました。

18番恩山寺へは10時40分に到着。



雨脚は強く、水はけの悪い境内は水溜り状態でした。

ろうそく、線香に火をつけるのも大変。

でも、前回咲き始めていた紫陽花はこの雨で活き活きとしていました。

恩山寺の紫陽花


竹藪の中の弦巻坂(つるまきざか)



恩山寺から立江寺へは、竹やぶの中の遍路道を歩きます。

この道は、その昔、義経軍が釈迦庵から恩山寺へ上る坂の向こうに敵兵がいないことを察知して、弓の弦を巻かしたことから「弦巻坂」と名付けられたとのことです。




弦巻坂を抜け田道を歩いていると、水路脇にめずらしい半夏生がありました。


半夏生(はんげしょう)


立江寺山門

 

すでに靴は水浸し。

ジュクジュクと音を立てて3.6キロを歩き、
19番立江寺に着きました。



この寺は、天平年間の開基。天正年間の長曽我部氏の兵火に遭った時も、近年(昭和49年)の火災の際にもご本尊は難をのがれたとのことです。


立江寺本堂


お京塚



立江寺は阿波の関所寺といわれ、邪悪の心を持つ人や罪を犯した人には罰が当たると言われています。

その昔、お京という人が鍛冶屋長蔵と不義密通。

夫を殺害して、長蔵とこの寺にやってきました。

地蔵尊を拝もうとすると、お京の髪が鉦の緒に巻きつき取れなくなりました。

お京が罪を懺悔すると髪は地肌ごと取れてしまったが、命だけは助かりました。

お京は立江寺に程近い地に庵を結び、地蔵尊を念じながら生涯を終えました。




今でも、お京塚の石碑があり、祠もありますが、参拝する人もなく、草に埋もれていました。


肉付き鉦の緒の黒髪堂


本堂から見る多宝塔



さて、今回は、早めに出発したので、お勤めを済ましてからの昼食となりました。


宿坊でスイカのデザート付きのおいしいお弁当を食べて、堂内を見せて頂きました。




本堂には、東京芸大の教授らによる豪華絢爛たる絵天井が金色に光っています。


寝っ転がって写真を撮るなんて、お行儀の悪い!なんて言いっこなし。


ごろんと寝転んで天井を見ていると、気持ちがリッチになってしまいました。



本堂の絵天井


襖絵



上檀の間には、長尾弘子画伯により襖絵が描かれています。隣の間にはこれまた素晴らしい書が一面に書かれています。



美術的にも立派な堂内を鑑賞の後、立江寺を出発しました。


襖書


洪水?


雨はさらに強く、道路を水が流れます。
水路の水は溢れ、田んぼに直に注いでいます。


♪ピッチピッチ♪チャップチャップ♪ 童心に返って水の中を歩くのもなんだか楽しい気分です。

そうして6キロ。沼江(ぬえ)大師(胎蔵寺)に到着。




縁結び・子授け・安産のお寺とか。
「もう、遅い!」
「いやいや、子どものために!」
それぞれの思いでお参りをしました。

そして、だんだん山に入って行きます。
風も強くなりました。

雨傘の骨が折れてしまった人も。

台風が室戸に上陸との情報がはいりました。


雨に濡れるキウイの実


えびすの湯入口


雨風を一身に受け止めながら、沼江大師から4.3キロで20番鶴林寺への登り口・生名(いくな)に到着しました。

またとない天候の中、今日の歩行予定、14.1キロを無事歩きました。

徳島市内に戻り、蜂須賀公清遊地・籠(徳島市大原町籠)に築造されたえびすの湯に到着した頃には天候はすっかり回復。

この青空を見てください!

              娘遍路




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