遍路紀行

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遍路紀行その42 43番明石寺〜鳥坂峠〜札掛大師堂(H18.5.12)



シャガの咲く道



新緑の明石寺


高知道、松山道を快適に走って西予宇和ICで降り、43番・明石寺へ着いたのは10時20分でした。


3週間前に桜が残っていた境内はすっかり新緑に包まれています。

この明石寺は「あげいしじ」とも呼ばれ、修験道場として栄え、また四国霊場の本関所寺として畏れられ敬われ親しまれてきました。



深い木立の山を背負うように建っている堂宇は古めかしく、長い歴史を思わずにはいられません。


ここ、43番・明石寺から44番・大宝寺までは88キロ余り。私たちの隔週1回の日帰り歩き遍路では、これから7月まで札所はなくひたすら歩くのみとなります。

明石寺で心をこめてお参りをし、出発です。


宇和町へ行く山越えの遍路道



古い町並み


明石寺の左手の山越えの遍路道は、木立に覆われている上に、空の雲も厚くなってきて、鬱蒼としています。

20分ほどで山を越え、国道56号・宇和町へ出ました。



電柱や電線などもどこかに隠されて、昔ながらの古い町並みが保存され、懐かしい雰囲気です。

この町並みを過ぎると、ヤマボウシや路傍の赤や白のクローバー、ニワセキショウなどを見ながら歩を進めます。


こんなポンプもありました



ヤマボウシ


4キロ、1時間ほどでレストランへ着き、昼食タイム。


今まで50回(1泊2日が数回あったため)ほど遍路旅での昼食がありましたが、今回はじめてバイキング昼食でした。

数多いメニューのどれもが美味しそうでついつい手が出てしまい、食べ過ぎてしまったようです。




赤ツメクサ


白ツメクサ



午後は12時半から歩き始めましたが、空は暗く、遠くの山が煙って見えます。


しばらく歩くと霧雨になりました。
「霧雨」「小糠雨」・・・とにかくやさしい春雨でした。

アヤメや花ショウブ、芍薬などがしっとりと春雨に濡れているのもいい風情です。


とうとう雨に



アヤメ


やがて鳥坂(とさか)へ来ました。


国道には鳥坂トンネルがありますが、ここで国道から左へ入り、鳥坂峠越えの遍路道へ進みます。



坂の登り口には鳥坂番所跡があります。


この道は「宇和島街道」の要衝であったとか、藩政時代は、「人物・物資の流出を防ぐ」ため、厳しく取締りをしていたとのことです。

山へ入ると白いウツギの花が迎えてくれ、シャガの群生する林には少し霧も出てきました。


鳥坂峠



なだらかな下り道


間もなく木立が切れ、そこだけパア〜ッと明るい鳥坂峠(とさかとうげ)へ着きました。

雨は既に止んでいました。

午後歩き出してから、8.3キロ、2時間半。

バイキングで食べ過ぎたツケでしょうか、道中、喉が渇くこと!



小休止後、時折差し込んでくる木漏れ日を受けながら、なだらかな坂を下りていきます。

ホウチャクソウやアオテンナンショウなどの季節の山野草、香りのいい自生の独活(うど)など、豊かな自然を楽しみながら30分ほど歩き、鳥坂トンネルの出口(国道56号)へ出ました。

トンネルを出たところ、そこは大洲市です。


ホウチャクソウの群生



アオテンナンショウ


車道をどんどん下っていき、「札掛橋」のたもとを右折してしばらく行くと「札掛大師堂(松下庵)」の下へ着きました。


坂を上がったところに門があり大きな鐘が吊るされていました。

しかし、無人で、庭も堂宇も荒れ果ててしまった庵は、寂しくもの悲しく、火の心配もあるので線香ひとつ手向けることもないままで退出しました。



鳥坂峠から3.7キロ、約1時間でした。


ここで今日の予定を歩き終わり、大洲市内の肱川のほとりにある「臥龍の湯」へ行きました。

ここ肱川は「鵜飼」や「イモ炊き」で知られています。


鳥坂トンネル出口(大洲側)



札掛大師


露天風呂から見える山は「富士山」。
山腹にはツツジが名残をとどめていました。


次回は5月26日、札掛大師堂〜肱川橋〜十夜ヶ橋〜内子橋です。


        娘遍路


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