遍路紀行

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遍路紀行その60 大興寺〜68番神恵院〜69番観音寺〜70番本山寺
(H19.5.25)


大興寺本堂で



ユウゲショウ


このところの高温と少雨傾向で、ダムなどの貯水池の水位が気になり始めていました。


特に、涅槃の道場・讃岐路へ入ったことで、香川県の一万数千に上るため池の象徴的存在・満濃池の水位が下がってきていることもひとごととは思えません。



キキョウソウ


睡蓮



今回は出発前夜からかなりの雨が降りました。

予報どおりの雨の中を、9時20分、先ずは大興寺にお参りをします。

前回大興寺へ到着したときは、雲辺寺への上り下りでかなり疲れていたし時間が遅かったので、境内の雰囲気を味わう余裕もなく、そそくさとお参りして退出したことでした。


ため池の水草



雨の中でのお勤め


朝一番のお参りは心がゆったりしていいものです。

「今日一日を元気に歩けますように」

「この雨が恵みの雨でありますように」

ほの暗い本堂の中に灯されたたくさんの赤いろうそくの火の美しさに惹かれながらの勤行でした。



大興寺を出て左へ、観音寺方面へと進みます。

青いキキョウソウや赤いユウゲショウが可憐に咲き、道の下の池には睡蓮が咲いて、讃岐路は夏の風情です。

8キロ、2時間半で琴弾八幡宮に着きました。


トキワツユクサ



樹齢1千年といわれる大楠

濡れた靴を脱いで琴弾廻廊に入っての昼食です。

期待(?)通り「うどん」が出ていましたが、テーブルには七味唐辛子がありません。

七味唐辛子を、と申し出ると持ってきてくれました。

出し忘れではない様子、当地では七味唐辛子を振り掛けない習慣かもしれないですね。

午後は1時過ぎから。

琴弾八幡宮の傍の道の白いトキワツユクサの群生を見ながら700メートルで、68番・神恵院(じんねいん)と69番、観音寺(かんおんじ)です。



ここはひとつの境内に二つの札所が同居です。

神恵院はもともと琴弾山山頂にある琴弾八幡宮のなかにあったもの。


明治初年の神仏分離令で八幡宮は札所の看板を外し、山麓の観音寺境内に本尊の阿弥陀如来を移して68番札所としたため、同一境内に二札所となったということです。


神恵院本堂



神恵院本堂
中はこうなっています

山門をくぐり石段をあがると樹齢千年という楠の大木がそびえています。

この境内を左に行けば神恵院、右側が観音寺です。

神恵院本堂は四角いコンクリートの箱のような不思議な外観をした建物でした。

大師堂は本堂の前、左側にあります。
本堂・大師堂とも屋根の下で勤行をすることができました。

それから大楠のある境内に戻り、69番・観音寺にお参りです。

こちらは軒や柱が朱塗りになっていて古い時代を感じさせる建物です。



ところで、今回の遍路行には、観音寺近くに職場があるというネットのお友達・あすかさんが、仕事をおいて一行への差し入れを持って、会いにきてくれました。


なのに雨の中をお勤めが終わるまで待たせた上、ゆっくりお話もしないで次へ進んでしまい、申し訳なかったです。(ありがとうございます、みんな喜んでいました)


観音寺大師堂



琴弾の銭形


このあと、砂浜の「銭形」を見に琴弾山の展望所へ上がりましたが、雨のためくっきりとは見えなくて残念でした。



センダンは花盛り


クサフジ



観音寺を出てから、財田川の堤防を4.7キロ、70分で70番・本山寺(もとやまじ)に到着。広々とした境内の平地のお寺です。

山門はじめ堂宇のどれもが古めかしく威厳に満ちていますが、威圧感がないのは、平地だからでしょうか。


本山寺仁王門



本山寺本堂と五重塔


兵火や火災にあわなかったので仁王門(八脚門)や五重の塔は往古のままの姿を残しています。


88ヵ所で五重の塔を持つのは、ここ本山寺と、善通寺、志度寺、竹林寺の4ヵ寺だけ。

ご本尊は馬頭観音。

昔は運搬や農耕に使った牛馬の守り神として農民の信仰も厚く、親しまれていたようです。



今日は一日雨の中を歩いてズボンは濡れ、靴の中で足は潤びてしまいました。


ほどほどの雨が長時間コンスタントに続く、こういう降り方はしっかり野山を湿らせるのだと思います。

いい雨でした。

琴弾廻廊で入浴、冷えた体を温めて高知へ帰るとすでに雨は上がり、入日に焼けた雲が強烈な色を少しの間でしたが見せていました。


馬頭観音だから・・ 



強烈な色の雲でした



次回は、6月8日、本山寺〜弥谷寺〜曼荼羅寺〜出釈迦寺です。


     娘遍路

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