高知の祭り

高知の祭り目次

HOME

前ページ

次ページ

夜須町西山 夜須八幡宮百手祭(ももてさい) (H17.1.19〜20)



夜須八幡宮


本殿


高知県の三大弓神事として、安芸郡北川村の星神社「お弓祭り」、長岡郡大豊村の熊野十二所神社「百手の祭り」、そして、ここ香美郡夜須町の夜須八幡宮「百手祭」があります。



夜須八幡宮は、荘園時代の1050年に、石清水八幡宮を勧請したものとされ、1000年近い歴史を持っています。


その夜須八幡宮に、百手祭がいつから始まったのかについては、諸説あるとか。

宮廷行事としての弓、武家の行事としての弓、民間信仰の悪魔祓い行事としての弓など、いろいろあるようです。


矢台による矢振り


弓塚祭


しかし、今から400年ほど前の藩政時代に「百手祭」に対して藩主からの干渉があった際に、住民は異議を申し立て、「従来からやっているものならば、やってもよろしい」との返答を得たということが残っているそうですから、少なくとも400年以上、絶えることなく続けられてきたことは間違いありません。


さて、この百手祭は、1月中の卯の日と辰の日(今年は1月19日と20日)に行われます。

祭日の前夜、神官・射手12人・矢台1人・宮総代などが集まり、当日の段取りを打ち合わせたあと、通夜堂に籠る人もいるそうです。


長袴に烏帽子の射手たち(初日)


大的


その昔は、前日夜須の浜で潮垢離(しおごり)、当日境内の井戸水で水垢離(みずごり)をして心身を清めてから、素襖・長袴・立烏帽子などの衣装を身に着けたそうですが、今では潮垢離・水垢離は省略しているとか。


当日朝、神事の後、裃をつけた「矢台」により射順が決められます。これを「矢振り」といいます。


烏帽子姿の12人の射手が自分の矢の前にずらりと正座し、的に向かって拝礼し、弓塚祭という儀式(三三九度の盃など)を行ってからいよいよ射芸に入ります。


2日目は衣装が変わり裃姿


保育園の子供たち


射手は6人ずつ、2本の矢を28メートル先の的に向けて放ち、次の6人と交代します。


2日間で1200本というのですから、一人100本を射ることになります。


住民や近くの保育園児、小学生などが次々と訪れて見物し、見事に的中したときには拍手喝采です。


説明を聞く小学生


的中に拍手する小学生


1日目の最後には「生矢(なまや)」といって、矢をつがえ弓を引き絞ったところで中止し、翌日につなげます。


2日目は、衣装が裃姿に変わり儀式としての盃ごとはなく、射芸がつづけられます。



               

 目次  TOP 前ページ 次ページ