高知の祭り

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大豊町桃原・百手の祭り (H17.2.25(旧暦1月17日))



明るい日差しを受けて百手の祭り


山の斜面にある桃原の集落と畑


土佐の三大弓神事のひとつとしてあげられる大豊町桃原の「百手の祭り」が2月25日に大豊町桃原の熊野十二所神社で行われました。


桃原は国道32号の豊永あたりから狭い山道を2キロ以上あがったところにある集落です。

百手の祭りは、南北朝時代に小笠原氏が豊永に定住し、小笠原流の射礼百手(じゃらいひゃくて)を行っていたのが起源ではないかとの説があり、500年以上の歴史を持っているようです。

藩政時代、藩主山内氏に禁止されて一時中断したものの、やがて復活、今日まで続けられています。


熊野十二所神社


歴史を感じさせる参道


樹齢1200年といわれる牡丹杉


境内には大豊町指定天然記念物の「牡丹杉」(樹齢1200年以上)といわれる杉の大木があります。

1200年前、京の巫女が捕えられ土佐に流されたとき、数人の巫女がこの地に流れ着き、この杉を植えたといわれているのです。


旧暦1月17日は、熊野十二所神社の新年の「お神祭」で、「百手」が奉納されるのです。境内の射場に集まった12人の射手が、裃姿に烏帽子をつけて2000本の矢を射ます。

「まともにやったら、夜中までかかる」とのことですので、どこかに「まともでない矢数の数え方」があるのかもしれません。


前日の大雪が、気温が上がって解けだして、屋根からは雪解け水が流れ落ち、大きな杉からも大粒の雨になって境内は相当なぬかるみになっていました。


各地区や本殿での神事の後、10時すぎ、神官さんが射場のお祓いをしたあと、4本の矢を射ます。

そして、五本目は生矢(つがえただけで射る前にやめる)で収め、いよいよ百手がはじまります。


神事


山の暮らしで鍛え上げたお父さん達


2000本を数えるまで続く記録


的は、射場から20メートルの位置に置かれ、蛇の目の円(裏には鬼の字)を描いた大的・中的・小的が用意され、的中央の前には薄割板が置かれこれを射的とします。

6人の射手が並び、2本ずつ射ては、残りの6人と交代し、2本を射る、を繰り返し、2000本の矢を射るのです。


「三度弓」では射場の前に2本ずつの杭を刺してから、また、「練り」では、後方から「前は○○神、後は□□神」とのお触れがあってから射ます。こうして行事次第により、2000本に到達するまで、延々と射続けます。

ところで、どこの山間部でもそうであるように、ここ、大豊町桃原でも過疎が進み、若い人がどんどん少なくなっている状況になっています。
射手の方々もかなり高齢化しており、継続の危機を感じざるを得ませんでした。

伝統ある祭りをどうか続けていってほしい、そのために部外者である私に出来ることは何だろうか、そんなことを考えながら山を下りたのでした。



               


射場には前日の雪が残っていた


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