高知の祭り

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鳴無(おとなし)神社秋大祭 高知県須崎市 (H18.10.14)


鳴無神社拝殿



海へ向く鳥居


神殿の前で待機中


須崎市浦の内湾の奥まったところに鳴無神社があります。


海に向かって鳥居が立ち、1663年の再建(創立は不詳)になる柿葺(こけらぶき)の社殿も海に向かって建っており、土佐の宮島と言われています。



一同勢ぞろい



祭神は味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)「一言主神(ひとことぬしのかみ)」

御神徳は縁結びとか


社伝によると、雄略天皇との間になんらかの経緯があった「現人神葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)」が船出し、雄略天皇4年(西暦460年)の大晦日に、浦の内の太平洋側に流れ着きました。


おでまし



神の子たちがやってきた


気づいた里人達は畏れ敬い、一言主神と御船を担いで山を越え、玉島に迎えいれました。

このときの里人のうち13人の子孫は、社人(しゃじん)として今日に至るまで祭典の大切な役目を伝え受け継ぎ、このときに正月の注連縄飾りをしていなかった里人の子孫(9家)は今でも正月の注連縄飾りをしないといいます。



こうしてこの地に落ち着いた一言主神ですが、あるとき「この地は神慮に叶わず」として、「落ちた所に宮を建てる」と石を投げたところ、その石は高知市の一宮(いっく)に落下、一宮を社地と定め、土佐神社の誕生となったようです。(「高知の祭り・高知市」の志那祢祭参照)

ということで、ここ鳴無神社は「一宮の土佐神社」の元宮なのです。

例大祭の日も、8月25日〜25日と同じ日です。


神社入り口での儀式



三々九度


8月25日の志那祢(しなね)大祭には、嘗ては、土佐神社からは浦戸湾を船で浦の内まで御神幸、ともに賑やかなお船遊びをされたようですが、1195年、御神幸から土佐神社への帰路、災難に遭って以来中止、今では土佐神社からの御神幸はありません。

鳴無神社の8月25日の例大祭(志那祢大祭)は今もお船遊びが行われ、勇壮な海上パレードの御神幸が行われるそうです。



未成年だから飲んじゃダメよ!


なんだか退屈だわ・・



秋大祭は「チリヘッポ」と呼ばれる神の子の「結婚式」が行われます。

御神輿が神殿を出て海岸まで行き、鳥居をくぐって神社に帰ってきます。

境内にしつらえた式場に鎮座し、そこで「結婚式」を行います。


二人で玉串奉奠



無事に終わればお餅のなおらい


男女二人の幼い神の子は下へもおろさず、男の子は首馬で、女の子は背に負ぶさって神前に連れてこられます。

長々とした神事の後、三々九度の杯、なおらい(お食事)で結婚の儀式を終わります。




3歳5歳の幼さで、退屈な儀式をじっと我慢の様子はほほえましくも健気なものでした。


        


艶やかに浦安の乙女の舞

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