高知の祭り目次
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散華
大豊町・中央が源流域の四国三郎「吉野川」
過疎と高齢化に直面しながらも、ふるさとの原風景ともいえる豊かな自然と、伝統文化を今に伝える大豊町。 山深いこの地に、古より伝えられた永渕・岩原神楽が古式のままに伝承されています。 (永渕神楽は、「高知の祭り・大豊町」の永渕・永渕祭をご参照ください)
岩原神社の起源は10世紀中ごろだといわれ、神楽が始まったのは15世紀中ごろからのようです。 今回は岩原神楽を見せていただくべく、岩原神社のお神祭へ行ってきました。 JR土佐岩原駅から急斜面の山道を「陰」方面にしばらく上がっていき、10時頃、今回の「お頭屋(とうや)さん」の家に行き着きました。
お頭屋さんの家の幟
木立の中の車用の参道と鳥居
お頭屋さんの家で来意を言うと 「どうぞ、どうぞ。NHKさんも来ています。」とのこと。
そこから見ると、はるか下を吉野川が流れ、それを挟むように、濃く薄く幾重にも急峻な山が重なっています。 谷の向こうに見えるのは徳島県、四国山地の真っ只中のこの地で、幾世代を暮らしてきた人たちが父祖から子孫へと大切に「神楽舞」を伝えてきたのです。
従来の参道
神社の幟には神楽が描かれている
厳かな神事
朝9時に神官さんがお頭屋さんの家で「すす払い」(お清め)をし、その後、神社に行きます。 本殿は近年建て替えられたようでまだ新しく、境内はきれいに清掃されて清々しさでみちています。
11時から神事。 その間にお神楽を舞う若者が白い装束に着替えたり、倉庫に保管中の舞獅子やたくさんの神楽面の虫干しをしたりするなか、地区の人たちが次々とお参りにやってきます。
たくさんの神楽面
着替え中の舞人たち
獅子面(張子の表面には毛皮が貼り付けられています)
静かに神に感謝する後姿は美しいと思いました。
神事の後、太鼓と幣(ぬさ)が神殿から出て、お頭屋さんの家に向かいます。 御神輿に匹敵する大切なものが「幣」のようです。
お頭屋さんの家へむけて出発
散華垢離の文(さんげこりのもん)
お頭屋さんの家で神に仕える方々が食事をしたあと、「散華(さんげ)」がはじまります。 (このときから私ども一般の者にも聖なる部屋へ上がることが許されました。)
庭に筵を敷いて神楽が始まります
氏子の皆さんが太鼓を取り囲み、幣を振りながら「12月(つき)」のご詠歌を唱和します。 これは六根(六識の元となる六つの感官、眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄の行だと言われています。
じい
神楽舞
これを「散華」と言いますが、高知県でもこの散華が残っているのは珍しいと聞きます。 散華の間、神官さんがひとりひとりに福をわけてまわりますし、「じい」と呼ばれる「ひょうげ役」も、楽しく座を盛り上げます。
散華が終わると一同は庭に下り、神楽が始まります。 庭にムシロを敷き、白い衣装をつけた舞人が古式ゆかしく神楽(幣の舞、双刃の舞、二天の舞、弓の舞、長刃の舞、扁芸の舞、魚夫の舞、舟の舞、鍬の舞、宇賀の舞、宝の舞、四天の舞、猩々の舞、獅子の舞のうちいくつかを舞いますが、残念ながら本日の演目を聞くのを抜かってしまいました)を舞い、ここでも「じい」が舞を盛り上げます。
じいも負けずに舞います
上手に舞う舞人にはお祝儀が投げられますが、それを「じい」が面白おかしいしぐさで拾い集めては人々の笑いを誘い、舞人にも「じい」にも惜しみない拍手喝采が送られるなど、静かな山里に和やかに時が流れます。
多くの演目を舞い終わると幣と太鼓は神社へ帰り、神殿に納められて、とっぷりと日も暮れてしまう頃、秋の神祭の全ての神事は終わります。 なお、永渕・岩原神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 麗
じいは疲れた様子