高知の祭り

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賀茂神社秋祭り 高知県須崎市 (H18.10.20)


大注連縄を切る



町を行くおなばれ


10月18日の大谷地区の須賀神社に続き、多ノ郷(おおのごう)地区の賀茂神社でも秋祭りが行われました。

昼頃、神社を出た一行は浜町にある浜宮の駐車場へ移動し、町通りを踊りながらお旅所である須崎漁港へ向かいます。(お神輿が浜町へ来るのは隔年だそうです。)



到着すると、港の広場にお神輿が鎮座、神事が執り行われ、その隣では子供達による花取り踊りが始まります。

踊り子はヤマドリやキジの尾羽根の被り物を被り、白い紙房で飾った刀を持って、二人のお兄さんが舞いながら打つ太鼓に合わせて、踊ります。


お旅所(漁港)での神事



花取り踊り


子供達の踊りがとっても可愛く上手なのはモチロンですが、太鼓のお兄さん方のぴったりと息の合った舞いもなかなか見事なものでした。



花取り踊り



神事を見守る役員の方々の法被の模様は「フタバアオイ」。


フタバアオイは賀茂神社に自生しているとか。

賀茂神社は津野家を祭っているようです。

鎌倉時代に土佐に流された藤原某(?)氏が土佐の中西部(高岡郡)で勢力を持ち、津野姓を名乗るようになった、


法被の模様はフタバアオイ



びっしりと並ぶ露店

山内一豊が土佐へ入るまで土佐の支配者であった長宗我部20代・元親(もとちか)の3男・親忠(ちかただ)が津野家へ養子に入った、

津野家のその勢力を恐れた弟である4男・盛親(もりちか・・後に山内一豊に敗れる)に殺された、


などと詳しいお話をしてくださった方が居ましたが、膨大な歴史物語をメモも取らずに聞いたので、殆どを忘れたり覚え間違ったりしているのであろう・・と思います。

間違っていたらご容赦ください。


さて、漁港での行事が終わると神社に帰ります。

神社前の長い参道にはたくさんの幟が立ち、両側にはびっしりと露天が並んでいます。

その中を進んできたお神輿が神社に入ると、境内では花取り踊りが始まります。

踊り子達は賀茂神社と隣の地区の桑田山神社の二組が競い合って踊ります。

踊りの最後には大注連縄が刀でエイッと切られて終わります。

ところで一日お祭りを見ていると、太鼓を打つお兄さん達が、年下の踊り子達に、踊りだけでなく礼儀も含めた躾をきっちりと指導しているように見受けられ、感動しました。

どこのお祭りでも感じるのですが、地域の年長者に可愛がられ育まれている子供達を見ると胸にジンと来るものがあります。


お神輿が本殿へ帰ります



花取り踊り


祭りの中で育つこの子らは、きっと力強い地域の担い手になるだろうと思います。


賀茂神社、須賀神社の花取り踊りは高知県の無形文化財に指定されています。

なお、賀茂神社には「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」の伝説があります。


賀茂神社の南東、大坊の地で、ある日漁師の網に、頭は人間・体は魚の形をした生き物(人魚)がかかり、人々は恐れて近寄らなかったが、人魚はいつまでも腐らなかった。

ある日、幼女が這い寄って、その人魚が網に掛かったときの傷のところを舐めた。
その子が年頃になり漁師に嫁ぎ子孫繁栄した。

その女は九〇歳を過ぎても若々しく、百歳、二百歳になっても美貌は変わらなかった。
しかし、その女にとっては子孫と言えども次第に遠縁になり、剃髪し諸国を巡り、若狭の国に数百年暮らしていたが、享年既に八百歳。

故郷土佐に帰り産土の神である「鴨大明神(今の賀茂神社)」に国土産として石の塔を寄進したという。

鳥居のそばにはその石塔「八百比丘尼の塔」が苔むして今も立っています。

               


八百比丘尼の塔

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