高知の祭り目次
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舞堂
興味津々の子供達
夏の土用に入って最初の日曜日に行われる南川百万遍祭、今年は7月20日でした 豊かな水を湛える早明浦ダムを遡り、大川村小松にある白い橋を対岸に渡って、さらに支流を遡って山の中の大谷寺まで行きました。 百万遍祭は、浄土往生を願って大きな数珠を廻す仏事です。
14世紀に都で大地震が起り、疫病が流行。 時の後醍醐天皇は、智恩寺の世阿弥に疫病沈静化の祈祷をさせ、7日目に百万回の念仏を唱えて終わり、疫病が終息したといわれます。 このときから、災厄があると大勢で車座になり数珠を廻しながら百万遍念仏をとなえるようになり、全国各地に「百万遍」が広まったようです。 土佐町南川の大谷寺の南川百万遍祭は、300年の伝統を持ち、無病息災や家内安全などの願いを込めて行われる伝統行事で、過疎化の中、集落の人々によって大切に受け継がれてきています。
休みなく叩く太鼓
年齢を問わず数珠を廻せます
全国のあちこちに「百万遍祭」は残っているようですが、ここ南川の百万遍は、人が数珠を廻すのでなく、数珠を持って人が廻るというのが、特徴です。 高知でもあちこちに百万遍祭は残っていますが、中でも南川百万遍祭は最大で、地区外からもカメラマンたちが大勢集まってきます。 午後1時、舞堂で大きな太鼓が打ち始められます。 (太鼓は4台、行事が終わる4時半頃まで途切れることなく打ち続けられます。)
やがて数珠を廻す男たち(女人禁制・男であれば年齢を問わず参加できます)10数人が全長30メートルもある数珠を分け持って舞堂内を回り始めます。 はじめのうちはゆっくりと順調に歩いていますが、時間が経つにつれて、あちこちで滞りだします。 昼のコップ酒が効いてきたのでしょうか、足元が乱れたり柱にしがみついたり。 やがて20分ほどで、数珠を置いて休憩。
大谷寺と見守る人々
派手に落ちるのも楽しそう
足が一升瓶のほうへ動いている?
数珠を廻す人達が休んでいる間も、太鼓は休みなく打ち続けられ、廻し手たちはコップ酒を手に談笑。 よく聞くと、太鼓のリズムが時に変わっているようで、それが合図でしょうか、2回目の数珠廻しが始まります。
こうして、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と数珠の廻りの乱れがひどくなり、舞堂から落ちる人が続出。 5回目にもなると、集団落下で、殆ど進むことにならない状態です。 何人もが墜落してグジャグジャ。 落ちた人も見る人もそれを楽しみ、カメラマンは大喜びです。
太鼓が境内に移動
切られた注連縄(ご利益あり)
こうして5回廻り終えると、次は、舞堂の回りに張り巡らされてあった注連縄が切って落とされ、数珠の輪も切り離されて、男たちは数珠をつかんで舞堂から境内へと躍り出てきます。
躍り出てきた数珠
境内の中央にある大木の周りで、数珠を舞堂へ格納しようとするものと、暴れまわって阻止しようとするものたちのにぎやかで激しい攻防が続き、4時半頃、大谷寺の住職さんが待つ舞堂へ数珠が格納されて祭りは終わりました。
とにかく暴れまくって
太鼓も大いに煽ります
格納へ最後の抵抗
疲れ果てました!
疲れ果てて舞堂の縁側でぶっ倒れている人達、思いっきり野山で暴れまくった少年の頃を思い出しているのでしょうか。 麗