高知の祭り

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高知市一宮 志那祢(しなね)祭(土佐神社大祭) (H17.8.24〜25)



神事の行われる拝殿、奥は神殿



楼門前からの賑わい


高知駅から国道32号を東へ4キロほど行ったところに、国道に接して土佐神社があります。




土佐神社は、大国主神の子どもであるという味すき高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と、古事記・日本書紀に登場する一言主神(ひとことぬしのかみ)をまつり、5世紀後半に創建された四国随一の大社です。



拝殿前には巨大テントで雨用意
(なぜかしなね様の日は雨が多い)


古伝によれば、大神が土佐に移ってきたとき、船が着いた浦の内(須崎市)に社(鳴無神社)を建てたが、そこは神慮にかなわずと石を投げたところ、14里離れたこの地に落ちたので、ここを社地と定めたとのいわれがあります。


社殿の裏山にはそのときの大きな礫石(つぶていし)が苔むしています。

また、浦の内の鳴無(おとなし)神社の祭礼日はしなね様と同じ8月24・25日。

江戸時代以前は、浦の内まで海路渡御されたと言われます。



裏山にある礫石


巨木の輪がある輪抜けさま



しなね様は、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄の神様、航海安全、交通安全、病気平癒、家内安全などその御神徳も絶大。

社殿は1570年に再建されたもので、本殿・幣殿・拝殿・鼓楼。楼門などの建物は国の重要文化財に指定され、古くも厳粛な佇まいです。



8月24・25日に行われる「志那祢祭(しなね様)」は、秋葉(あきば)様・御神穀(おみこく)様と並ぶ土佐の三大祭りのひとつとされていて、御神徳をいただこうと大勢の人がお参りに訪れます。

また、昔から、「しなね様が終われば夏が終わる」といわれてきたように、季節の風物詩として近郷の人々の暮らしにすっかり馴染んできた祭りです。

「御松明」を篝火にかざします


ご利益を!

24日は宵祭り

長い参道にびっしり並んだ夜店と参拝者で賑わいます。

社殿の前におかれた篝火は両日とも燃え続け,魔除け・災い除けの象徴と伝えられています。

祈願をこめて受けた御松明は、この篝火にかざして持ち帰り、神棚に供えておくとさらなるご加護があるといわれ、人々は、少し焦げた御松明を大切に持ち帰ります。



宵祭りに比べてさびしい境内です(拝殿から)



25日は神幸祭(おなばれ)


午後3時からお供人全員が拝殿に上がり、神殿では古式ゆかしく、笙・笛・太鼓がみやびに奏でられるなか、ゆっくりと神事が行われます。


古式ゆかしい楽奏



お出ましです


やがて「うお〜〜〜うお〜〜」という声がし始めると全員が平伏。


ご神体が神殿から出御、お神輿へ乗り移られるまでの間は顔を上げてはいけないそうです。



16人がかりの神輿をくぐる参拝者



約1時間で神事が終わり、いよいよお神輿がお旅所へ向けて出発します。


獅子・鼻高・太鼓・榊そのほかたくさんの長い行列です。


楼門を出てお旅所へ向かいます



至る所で神輿を潜る人が待っています

道中には、お神輿を潜ってご利益をいただこうとたくさんの人が待っています。

やがて徳谷(おいしいトマトで有名)にある一本松お旅所に到着。

お旅所での神事が行われ、運んできた榊が解放されると人々は先を争って榊をいただきます。



太鼓、槍など全て年代物です



「今の世の中を見ていると、神様がいると思う気持ちが大切だとつくづく思うようになりました。お旅所で神様は生まれ変わるそうですよ。ご一緒にお神輿を潜りましょうよ。」


道中で潜らせていただいた麗ですが、地元の方のお誘いに、ここでもまた潜らせていただきました。


一本松のお旅所



榊に人がもぶれつき、
あっという間に丸坊主に


厳かに浦安の舞



しなね様に雨はつきもの、
降り出した雨にお神輿はビニールで覆われて



お旅所での神事が終わると一行は本殿へ帰り、ご神体が神殿へ安置されて祭りは終わります。



          麗


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