遍路紀行

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遍路紀行番外 西安への卒業旅行 (H20.5.30〜6.2)


兵馬俑博物館で



乗り換えの待ち時間


出発を間近にした5月12日、想像を絶する四川大地震。

その後の大きな余震の報道。


小さな島国に住んでいると、報道による地図では、西安は被災地のすぐ近くのように思えましたが、直線距離で東京から大阪くらいは離れているようです。

「全く大丈夫」とのことで、安心して出発しました。



上海空港は灰色の大気


6つ★の観光バス



高知を9時に出て、13時5分、松山空港から出国。

時差は1時間遅れ。


一面に靄がかかったような上海空港で乗り換え、西安空港へ着いたのは予定より1時間ほど遅れて現地時間の19時を過ぎていました。

これだけ時間が掛かると、お隣とはいえ、さすがに外国へ来た気分になります。


ホテル前の夜景



ホテル前の朝景 中央6角形の屋根が食品市場


空港でのチェックは厳しく、とりわけ、液体には容赦がありません。


最初の中国東方航空機内で機内食についていたパック入りの水が手付かずだったので持っていると、乗換機(同じ中国東方航空)の搭乗前検査で取り上げられてしまいました。



なにはともあれ、無事広い西安空港に降り立ち、迎えの現地観光会社の★★★★★★(!)「豪華バス」でレストランへ行き夕食。西安市内のホテルに落ち着きました。


翌日は弘法大師修業の地、古都西安(長安)めぐりです。


華清池入り口


楊貴妃像


華清池

古くからの温泉地で、唐代に玄宗皇帝が楊貴妃のために華清宮を建て、愛の日々を送ったとか。

現在の建物は清朝末期に西太后が築いたもの。


楊貴妃の浴槽


シルクロードの出発地として紀元前から秦、漢、隋、唐など3千年に亘って栄華を誇った西安には、数々の歴史遺産や博物館など見所がいっぱいです。


兵馬俑博物館ゲート



兵馬俑



兵馬俑



兵馬俑坑博物館


兵馬俑は、地下に眠る秦始皇帝を守るための殉死のひとがたとしたものでしょうか。

1974年、秦始皇帝陵(紀元前210年頃に建設された)東側で農民が井戸掘り中に偶然発見したという。




兵士も馬も馬車も全て実物大で、一体一体服装や装備、表情も異なる写実的な陶製のもの。

発掘されたものは現在6000体を越えているが、現在もなお発掘整備中。

当時の皇帝の強大な力とともに、制作技術の高さに驚嘆せずにはいられません。






兵馬俑 


兵馬俑


「圧巻」とはこういうものを言うのでしょう。



陝西省歴史博物館


古代文明が栄え幾多の歴史の変遷を経て現存する国、中国ならではの貴重な博物館。

周・秦・漢・唐の時代を中心に陝西地方の古代歴史のなかで残された貴重な文物が陳列されており、故宮博物館に次ぐ中国第2位の大きさを誇る博物館である。


陝西省歴史博物館



陝西省歴史博物館


全て違う表情の兵馬俑の写真



ガラスケースの中の小型の兵馬俑


ぽっちゃりした楊貴妃像



仏像



大きなカルチャーショックを受けた西安郊外の観光を終えホテルのある城壁の中へ帰ります。


旧城壁

中国でも隋・唐時代の旧城壁が完全に残っているのはここだけだそうで、周囲12km、高さ12m、上の幅は12〜14mという大きなもので、西の城門は、シルクロードへの出発点となっています。


旧城壁の安定門


城壁の上で説明する
ガイドさん


城壁の上で凧揚げ
 


城壁の上からの見晴らしは素晴らしく、人々は、散歩やサイクリング、凧揚げなど思い思いにゆったりとした時間を過ごしていました。

夕食は鼓楼近くの餃子のレストランへ。


レストラン入り口で四川地震への募金箱を見つけました。



城壁内の市街地



入国以来、巨大地震という大変な事態の最中に観光の旅をさせていただくのですから、せめていくばくかと思っていたのですが、どこにも募金箱は見当たらず気になっていました。

迷わず紙幣を入れさせていただいたことで入国以来の胸のつかえが取れました。


気楽に外に出る国民性でしょうか 広場は人でいっぱい



ライトアップされた鼓楼


第3日目。


朝早く起きて、ホテルの前の道路を隔てたところにある市場へ行ってみました。

海の幸・山の幸、豚のパーツやスッポン、せわしなく擦れ合いながら通る人やキャリーが臭気とともにごった返しています。

清潔すぎる日本では見られないような光景ですが、こういう中で庶民は逞しく生きているのだと納得です。



食品市場


食品市場



さて、今日はいよいよ弘法大師ゆかりの地を訪ねます。



大興善寺

紅殻色の目立つ大きな建物の前では、五体投地して祈る人がいました。

大興善寺



祈る人


空海金像


庭に廻ると、お大師さまの金像が建っています。


西暦804年、大師31歳の時、遣唐船に乗り、6ヶ月を要して長安に到着、大興善寺で修行の後に清龍寺に移りました。


清龍寺

隋代の創建。唐代に隆盛を誇り、日本から空海はじめ円行・宗睿らが修学。

空海は真言大教を興した恵果阿闍梨から灌頂を受け、第8番目の祖師とされ、「遍照金剛」の灌頂名を与えられました。

北宋時代に廃れたが、1973年に発掘され、新たに恵果空海記念堂や記念碑が建てられたもの。


清龍寺 恵果・空海記念堂



空海・恵果像


記念堂内に入室、恵果・空海の坐像の前で、全員で般若心経を唱和。

日本からの遠い道のりを思い、感極まったことでした。

当日、寛旭住職さんは四国の小豆島を訪問中とか、副住職さんの穏やかな応対が心に沁みました。



大雁塔(慈恩寺)


玄奘三蔵がインドから持ち帰り翻訳した仏教経典600部あまりを納めています。

この塔ははじめ5層で、則天武后の時代に10層になり、その後戦火に遭って7層になったとか。

正面から見るとほんの少し左に傾いているように見えます


空海記念碑


大雁塔



いたるところビルの建設ラッシュ


昼食後、西安空港までバス移動。


車窓からみるビル建設ラッシュにはただただ驚きます。西安空港から上海浦東空港へ。



上海浦東空港からは世界最速のリニアモーターカーが走っており、運よくバスの窓からその姿をゲット。


速い!リニアモーターカー



外灘夜景は節電中


上海は外灘(ワイタン)の夜景が綺麗だとのことですが、ちょうど節電中でした。


上海のホテルで泊まり、翌朝早く帰途に着きました。



ということで、弘法大師修行の地への修学旅行も、走り走りながら無事済ませることができました。


お大師様からいただいた何物にも変えがたいご縁をこれからもずっと大切に持ち続けて生きて行きたいと念じています。 


          


湾内を行く船


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