遍路紀行

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遍路紀行 その36 聖ヶ丘〜松尾峠〜一本松町 (H18.2.10)



芳香を放つスイセン



小さな水路に残る水車

10時半、宿毛市の郊外・聖ヶ丘から市の中心部へ向かって歩き始めます。

この冬、渡り鳥がたくさん羽根を休めたという松田川を渡り、市街地へ入っていくと、この地の生んだ高知の政治家、林有造・譲治の家がありました。

明治時代中ごろの落成だそうですが「刺客への備えが整っている」というのですから、当時の社会が覗えます。



古い町並みには、疎水でしょうか、路地に水路が通り、あちこちに水車が残っていてこの町の情緒のある歴史を感じました。


出発から4.8キロ、1時間ほどで昼食場所のホテルに到着。ゆっくりと食事をしました。


林家の門構え



緩やかな山道


午後は12時20分出発。右手の山のほうへ進みます。


国の指定史跡「宿毛貝塚」の石碑がありました。

これは縄文時代の貝塚で、四国で最大規模のものとか。

そこから程なく山道へと入ります。


かなりの急勾配です。



左手に片島の海と集落を見ながら進んでいくと、「宿毛文旦」で知られるミカン山で、これから後至る所でミカンが栽培されていました。

中に、一つ一つ袋掛けしているミカンがありました。

「これは何じゃろ」「デコポンでは?」「ネーブルかも?」

探究心旺盛な遍路たちです。



ミカンの木の選定作業



フユイチゴ、心は絵手紙に


サルトリイバラ


あれやこれやで、ひとつ峠を越え、また次の峠を越え、やれやれこれで一本松か、と思ったところは大深浦で、そこが松尾峠への上り口でした。




昼食後、4キロ、70分ほどでした。

ここも狭い急な上り道です。


その昔は「重要な街道」であったとか、石畳なども施され大切にしていたことが伝わってきます。


足取り軽く



点線の道を行きます


視界が開けて美しい宿毛湾が見えてきました。

絶景を見下ろしながらしばしの休憩です。

中央に並ぶ二つの島は「咸陽島」で、「だるま夕日」のベストポイント、カメラマン達が大勢やって来るといいます。



そして間もなく標高300メートルの松尾峠へ到着しました。

大深浦の登り口から2キロ、約1時間です。

この峠が土佐と伊予の国境で、土佐側には昭和初期まで、駄菓子や団子、わらじなどを売る茶店があったそうです。


見下ろせば宿毛湾(中央が咸陽島)



いつもは寂しい山道でしょうね


昭和初期までは1日に200〜300人がこの峠道を歩いていたそうですが、昭和4年、宿毛トンネルが完成してからはここを通る人は殆どなくなったようです。

ここには古来からの大師堂があったそうで、今は真新しい庵が建てられており、遍路が宿泊しても構わないそうです。

「一夜庵」なので、「連泊は禁止」と書かれてありました。



今回の遍路はお試し参加の2名を迎え、遍路総勢30名。

10分ほど休憩、記念撮影、峠への到達の感動に浸りました。


陽だまりで休憩



松尾峠で記念撮影



峠を越えるとこんな道になりました


峠のすぐ下には、「伊予の国の領地である」旨の石柱(1687年建立)があり、道の勾配はゆるく、二人が並んで歩ける道幅、木に似せたガードレールの設置など、土佐の道と伊予の道の違いがはっきり分かる様子に驚きました。


25分ほどで平地に降りました。



タンポポ


ここにも「宇和島領」であると彫られた石柱が遍路道標と並んで立っていました。


陽だまりにタンポポが咲き、群生の水仙の香りを聞き、これからのあかるい季節を思っているとそこはもう一本松町、国道56号でした。


「従是西伊予国宇和島領」右は遍路道標 



一本松温泉


峠から5キロ、80分でした。

赤い大きな屋根の一本松温泉で十分に温まり、16時50分、高知へ向けて出発しました。


次回は 2月24日、一本松町〜40番観自在寺〜平山です。


        娘遍路


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