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高知県土佐町 南川(みながわ)百万遍祭 (H17.7.24)



南川の男たちの百万遍


7月前半の雨で画面中央部の
旧大川村役場庁舎は沈みました



夏の土用に入って最初の日曜日に行われる南川百万遍祭に行ってきました。


土佐町と言えば早明浦ダムがあるところなのですが、南川はそのダム湖を遡り、渇水報道で全国的に有名になった大川村の旧役場が湖底に沈むところを対岸に渡り、さらに10キロ近くダム湖を下り、支流を遡って行った山の中にある集落です。


ダムができてからは、急激に集落がさびしくなったと聞きます。

それでも、300年の伝統を持つ南川百万遍祭は、集落の人たちによって大切に受け継がれてきています。


左へ行けば南川へ


山深い南川地区



百万遍祭とは・・・


 浄土往生を願って大きな数珠を百万回廻す仏事。



地区の特産品は
「茶・ぜんまい・わらび・いたどり」


太鼓を担いでやってきます



1331年7月3日に都で大地震が起こり、疫病が流行しました。

その時、後醍醐天皇は智恩寺の世阿弥に疫病沈静化の祈祷をさせ、7日目に百万回の念仏を唱えて終わり、疫病も終息しました。

そのことから災厄があると車座になり数珠を廻しながら百万遍念仏を唱えるようになりました。


午後1時、舞堂では太鼓が始まりました


大谷寺へ参拝する地区の人たち


土佐町南川の大谷寺での南川百万遍祭は、無病息災や家内安全などいろいろな願いを込められて行われる伝統的行事です。


百万遍祭として行われる祭りでは高知県の中でも大きなものです。

また、祭りを行う舞堂は藁葺き、間口5間、奥行4間の広さで町の有形文化財に指定されています。



舞堂へ上がり数珠を持てるのは男だけ



当日午後一時になれば、4個の太鼓が打ち始められ、途切れることなく打ち鳴らされます。


女の子たちは見物です


おや?スムースに進まなくなりました


やがて舞堂で数珠を持った人たちが回り始めますが、この舞堂へは、男であれば子供から長老まで誰でも入れるようで、人数の制限もないようです。



おやおや、もめているのでしょうか?


あ〜あ、こけちゃいました



全国のあちこちに「百万遍」は残っているようですが、ここ南川の百万遍は数珠だけを回すのでなく、数珠を持って人が回るところが特徴です。


引っ張り上げているのだか、
引き摺り下ろしているのだか?



祭にお酒はつきもの
休憩中は地酒をコップでグビリグビリ


談笑中も太鼓の音は休みなく続きます



冷酒の勢いもありだんだん派手に転がりだします


さらに、回せないように邪魔して引っ張ったりしがみついたり、舞堂から次々と転落したりさせたりというのも、祭にかこつけての、日頃の鬱憤晴らしのしぐさのようにも見えて、愉快でほほえましいものがあります。


回るのは、奇数回で、1・3・5・7回など、そのときの状況によって違うようですが、今回は5回でした。



おっとっと!



大丈夫ですか!



居並ぶカメラの前でサービス満点


舞堂の周りには注連縄がめぐらされ、注連縄の中は女人禁制です。

(が、ここ1〜2年、女性カメラマンが撮影のために入るのは黙認されているようです)


輪が切られ外へ引っ張られる数珠
左後方のウコンの僧衣は住職さん


5回を回り終える頃、注連縄が切って落とされます。


(この注連縄にはご利益があるといわれ、人々は少しずついただいて持って帰ります)



太鼓も境内の所定の位置へ



広い境内へと出てきます


と同時に、数珠の輪も切りはなされ、長くなった数珠をつかんだ男たちが境内へ飛び降りてきます。


数珠を舞堂へ格納しようとするものと、暴れまわって阻止しようとするものたちのにぎやかで激しい攻防が、男たちがくたくたになるまで続いたのち、大谷寺の住職さんが待つ舞堂へ数珠が格納されて祭は終わります。


倒れても数珠は放しません


腕白坊主をそのままに



童心に還って引っ張りあったり転んだりしながらの、地域の男たちの楽しいふれあいのようですが、「これをやると三日ほど体が痛くて仕事ができない」とか。


いやはやお疲れ様です。

何かと思いにまかせぬことの多い昨今、ストレス解消には非常にいいと見ましたが!


               


暴れて疲れ果てました


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