遍路紀行

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遍路紀行 その3  十楽寺〜切幡寺 (H16.3.5)



たくましい母子地蔵

3月5日

前日からモーレツ寒くなり、天気予報では夕方からの雨マーク。


札所は17時に閉まるから大丈夫だけれど、その日に雨マークがあるのは妙に心弾まないもの。



でも結局、寒かったのは朝だけだったし、雨は帰宅してからでした。


早くもお大師様からご利益が!そういえば、1回目も2回目も快適な歩き日和でしたっけ。


例によって、バスは高知発8時30分(一般的なお遍路さんはもう札所で朝のお勤めの時刻です)土成ICを下りて前回最終の7番十楽寺に着いたのは11時前でした。

たくましくかわいい母子地蔵に迎えられ山門をくぐります。

大師堂前の、眼のお地蔵様にもよくよくご加護をおねがいしました。

ここまでは、前回来ていますから、これからがいよいよ今日の「仕事」です。


ここに何を植えるのでしょう


民家の庭のたわわな八朔

8番までは4.2キロ。

梅の花はもう終わり、田畑は春の用意が始まりました。

途中、「吉本仕出し店」でお昼ご飯。

しっかりと味のしみこんだ鰤のアラ炊き、蕎麦米(徳島では粉にするまえの蕎麦の粒を食べる習慣があるようです)の入ったおつゆなどのご馳走、ご飯はお代わり自由です。


「今日はまだひとつもお参りをしていないのに、こんなのでよいのだろうか?」と、気にするむきもありました。


テーブルに置かれた、折紙のアロハシャツを着た爪楊枝がかわいくて記念に持って帰った人も。

ゆっくり休憩のあと出発。


板野16地蔵のうちの一つ


遍路みちしるべ



道端にはあちこちにお地蔵様や大師堂や遍路道標があります。


信心深いお国柄なのでしょうか。



やがて、8番熊谷寺(くまたにじ)の仁王門が見えてきました。


熊谷寺の仁王門



仁王門の天井絵はこのようだそうです


なだらかな上り坂、仁王門の前には桜の木が枝を張り、白木蓮のつぼみはすぐにでも開きそうに膨らんでいました。

門の両側には「あ」と「うん」の仁王さまが力強くポーズをとっています。


この花の咲く頃にぜひ来たいものです。



スタンプラリーとしてはやっとひとつ進みました。


次いで、9番法輪寺に向かいます。


熊谷寺本堂


葉なし大根


土筆


前方に法輪寺



田畑の広がる田園地帯もようやく春を迎えようとしています。


トウが立たないように葉っぱ部分を切り取られた大根が畑にニョキニョキつったっているし、畦の芝焼きの後からは土筆がのぞき始めています。



広い農道を行くこと、2.4キロ。前方にこんもりと木が茂っているところが目指す法輪寺です。


山門の両脇に大わらじがありました。


法輪寺山門


思いよ 届け ゴ〜〜ン〜




山門をくぐると左に鐘つき堂があります。


本堂から全員白装束に揃いの帽子を被った一団の勤行が聞こえてきます。


「上手だなあ」と聞きほれていると、先達さんたちの一行でした。


お参りを済ませ、いよいよ今回最終の10番切幡寺へ。


先達さんご一行



是より333段


9番からは3.8キロ。1番からでは27.4キロ。

参道の両脇にはその昔の門前町を思わせる家並みが続きます。早朝1番を打って一日歩くと夕方には9番に到着するから、遍路宿なども大いに賑わったことでしょう。

今では、バス・タクシー・自家用車などでの巡礼が多いからか、閉店し荒れた店舗跡が目に付きます。


切幡寺は本堂まで333段の石段を上がります。

旅の僧(実はお大師様)が機を織る娘に着衣のほころびを繕うために布を所望したところ、娘は織りかけの布を鋏で切って与えたという。

大師は千手観音像を刻み娘に得度させたところ、娘はたちまち千手観音の姿になった(即身成仏)という。


切幡寺本堂


切幡観音


ここには、徳川秀忠公が大阪堺の住吉神社に寄進したものを移転したという大塔があります。(日本三大塔のひとつ)


今回、すでに10キロ以上を歩いた上に駄目押しの333段がこたえたのか、この大塔まで上った人は少なかったようです。


しかし、ここからすばらしい風景を見ることができました。

南に大きく広がる平野とその向こうに四国山脈が連なっています。山なみは3層になっています。

山すそに11番藤井寺が、一番遠くかすんでいるところに12番焼山寺があります。それが次回の行程なのであります。


大塔前の娘遍路


大塔から見た四国山脈




今回の疲れ落としは前回と同じ「美濃田の湯」でした。




      娘遍路


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