遍路紀行目次 HOME
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先ずは腹ごしらえ
4月2日 前日からの大雨で、今回は雨の行進と覚悟したのですが、風が雲を吹き飛ばし、快晴となりました。感謝感激。 バスが神山町の鍋岩に着いたのは正午。
まずは腹ごしらえです。 遍路向きメニューというのでしょうか、今回も散らし寿司とうどんです。うどんはお代わり自由、食べ放題。 唐辛子を真っ赤になるほど振りかけて「この辛子は利かん」と言う人がいたような。
焼山寺大師堂
焼山寺山門
そこからはタクシーで、前回到達の12番焼山寺まで行きました。 ふもとではきつかった風も凪いで穏やかな遍路日和です。 新築の大師堂は中に入って読経。(お経は暗記しなくても読めばよろしいとのことです)
焼山寺を出て、今回の歩きが始まりました。 ここは標高が高くて春の訪れが少し遅いように見えましたが、山門を出てすぐのところには桜の花がきれいに咲いていました。 12番焼山寺から13番大日寺までは20キロを超える距離があり、今回は途中本名までの10.3キロを歩く予定です。
右端が78歳の先達さん
木漏れ日の山道を黙々と
その昔、伊予の国の衛門三郎の家に旅の僧(弘法大師)が托鉢に来ました。 三郎は怒って鉢を取り投げ捨てました。鉢は8つに割れました。 その後、三郎の8人の子どもがみんな次々と亡くなりました。 三郎は自分のしたことが原因でこの不幸を招いたと気づきました。 そしてお大師さまに会って謝りたいと、資産を売り払ってお四国まわりをすること20回。何度行ってもお大師さまに会えない三郎は、21回目には逆に回りました。
木漏れ日の山道を1キロ少し行くと、遍路の祖・衛門三郎終焉の地・杖杉庵(じょうしんあん)に着きました。
杖杉庵(じょうしんあん)
遍路みちの物語
すでに体力の衰えた三郎は、焼山寺を目前にしたこの地で倒れてしまいました。 ふと気づくと目の前に捜し求めた方の姿がありました。三郎は、死の直前に、昔、自分がしたことを謝り許しを請うことができました。 三郎の墓に立てた杖が根付き、大きな杉に育ったと言うことです。そして、その後、杉は雷に打たれたりして現在は2代目とも3代目とも言われています。
遍路が伝説を生み伝説が遍路を呼ぶのでしょうか、遍路みちには沢山の物語があるようです。
杖杉庵を後にしてのどかな山あいをどんどん下って、そしてまた上り。 白い小さな猩猩ばかまが一面に咲いています。 所々に岩清水が流れ出ています。 やがて玉ヶ峠に出ました。ここまでが5.3キロ。行程の半分を来た事になります。道は車の通れる舗装路となりました。
石清水を汲む
猩猩ばかま
玉ヶ峠の休憩所
春爛漫の山里には春の恵み、イタドリが生えはじめていました。 高知県人はイタドリに目がありません。 土筆もこんなに! 目と心はイタドリに奪われてしまっているうちに、大きな道路に出ました。そこが今日の終点・本名でした。
イタドリ
えっ? もっと歩きたいのに!
バスで土成IC近くの御所の湯に行き、ゆっくりと温泉を楽しみ帰途につきました。 娘遍路
土筆