遍路紀行

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遍路紀行 その5  焼山寺〜本名 (H16.4.2)



先ずは腹ごしらえ

4月2日


前日からの大雨で、今回は雨の行進と覚悟したのですが、風が雲を吹き飛ばし、快晴となりました。感謝感激。


バスが神山町の鍋岩に着いたのは正午。


まずは腹ごしらえです。

遍路向きメニューというのでしょうか、今回も散らし寿司とうどんです。うどんはお代わり自由、食べ放題。

唐辛子を真っ赤になるほど振りかけて「この辛子は利かん」と言う人がいたような。


焼山寺大師堂


焼山寺山門



そこからはタクシーで、前回到達の12番焼山寺まで行きました。


ふもとではきつかった風も凪いで穏やかな遍路日和です。


新築の大師堂は中に入って読経。(お経は暗記しなくても読めばよろしいとのことです)


焼山寺を出て、今回の歩きが始まりました。


ここは標高が高くて春の訪れが少し遅いように見えましたが、山門を出てすぐのところには桜の花がきれいに咲いていました。

12番焼山寺から13番大日寺までは20キロを超える距離があり、今回は途中本名までの10.3キロを歩く予定です。


右端が78歳の先達さん


木漏れ日の山道を黙々と

その昔、伊予の国の衛門三郎の家に旅の僧(弘法大師)が托鉢に来ました。

三郎は怒って鉢を取り投げ捨てました。鉢は8つに割れました。

その後、三郎の8人の子どもがみんな次々と亡くなりました。

三郎は自分のしたことが原因でこの不幸を招いたと気づきました。

そしてお大師さまに会って謝りたいと、資産を売り払ってお四国まわりをすること20回。何度行ってもお大師さまに会えない三郎は、21回目には逆に回りました。

木漏れ日の山道を1キロ少し行くと、遍路の祖・衛門三郎終焉の地・杖杉庵(じょうしんあん)に着きました。



杖杉庵(じょうしんあん)



遍路みちの物語




すでに体力の衰えた三郎は、焼山寺を目前にしたこの地で倒れてしまいました。

ふと気づくと目の前に捜し求めた方の姿がありました。三郎は、死の直前に、昔、自分がしたことを謝り許しを請うことができました。

三郎の墓に立てた杖が根付き、大きな杉に育ったと言うことです。そして、その後、杉は雷に打たれたりして現在は2代目とも3代目とも言われています。


遍路が伝説を生み伝説が遍路を呼ぶのでしょうか、遍路みちには沢山の物語があるようです。

杖杉庵を後にしてのどかな山あいをどんどん下って、そしてまた上り。

白い小さな猩猩ばかまが一面に咲いています。

所々に岩清水が流れ出ています。


やがて玉ヶ峠に出ました。ここまでが5.3キロ。行程の半分を来た事になります。道は車の通れる舗装路となりました。


石清水を汲む


猩猩ばかま



玉ヶ峠の休憩所



鬱蒼とした陰地で立ち止まるとひんやりします。

少し行くと民家があり、私たち一行は呼び止められました。30人近くいる一行のために、ビニール袋いっぱいのみかんを用意してくれました。

個人からの接待(頂き物)をありがたく頂いたのは初めての経験でした。


春爛漫の山里には春の恵み、イタドリが生えはじめていました。

高知県人はイタドリに目がありません。

土筆もこんなに!

目と心はイタドリに奪われてしまっているうちに、大きな道路に出ました。そこが今日の終点・本名でした。


イタドリ

えっ? もっと歩きたいのに!

バスで土成IC近くの御所の湯に行き、ゆっくりと温泉を楽しみ帰途につきました。



             娘遍路



土筆

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