遍路紀行

遍路紀行目次 HOME

前ページ 次ページ

遍路紀行 その7  大日寺〜井戸寺 (H16.4.30)



一宮神社


4月30日


ゴールデンウィークの最中、好天の4月30日に第7回目の遍路に行きました。


通い慣れた徳島道から見る山々は緑を増やし、新緑へ変貌中です。


徳島市一宮町に到着は11時半。


13番大日寺の隣、名西旅館での昼食のお弁当には「
鰹のたたき」が入っていました。


 目には青葉山ほととぎす初松魚


太鼓橋


常夜灯


12時半、今日の歩き始めは、一宮神社からです。


入って直ぐ、一枚岩の太鼓橋がありました。大きな常夜灯も石で作られています。



そして、13番大日寺。

本堂、大師堂にお参りし、ボケ封じの観音様にしっかりとご加護をお願いしました。


大日寺を出て14番を目指します。


人家の中の遍路道は生活道であり、市民の生活の中をこうして遍路できるのは、豊かさの裏返しだろうかなどと考えながら歩きます。


民家の庭の、ひと月前には美しく花咲き誇ったであろうサクランボの木には、ルビーのようなサクランボがいっぱい!


ボケ封じの観音様


サクランボの木





つややかなサクランボ


岩盤の起伏の境内と本堂




徳島市一宮町から国府町にはいります。大日寺から2.3キロで14番常楽寺に着きました。


山門を上がる足元をよく見ると、岩盤が削り取られて階段になっていました。


境内も至るところ岩の起伏(流水の庭)です。

大きな一位の木の向こうに古い本堂が建っていました。



一位の木の枝分かれしたところにお大師様がいます。


お寺には、それぞれのご本尊が祭られています。


ここ常楽寺の本尊は、88ヵ所で唯一の、”考える仏”といわれる弥勒菩薩です。


お釈迦様の入滅後、56億7千万年後に人類を救うべく現世に現れるといわれる弥勒菩薩ですが、果たしてそれまで人類は生き残っておるでしょうか?


お大師様


スズラン満開



常楽寺から国分寺までは0.8キロ。


途中、民家の庭で清楚なスズランに出会いました。



あっという間に15番国分寺です。


聖武天皇のころ諸国に国分寺が建立されたときの阿波の国分寺ですから、およそ、1200年の伝統があります。


国分寺山門から見る本堂



庫裏から見た本堂と枯山水の庭園



16世紀に長曽我部氏の兵火にかかり焼失、再建に長い年月がかかった、と聞くと高知県人としては胸が痛みます。


本堂は1200年の伝統を伝え、建築後260年を生き抜いて、古色の中に風格を見せています。


国分寺から 1.7キロで16番観音寺に着きました。

ここには88ヵ所中、唯一、
弘法大師の筆跡を刻印した光明真言の印判を宝蔵しています。

「希望者には光明真言を押してもらえます」との添乗員さんの呼びかけに、何のことか分からないまま、着ていた白衣を脱ぎ1500円で依頼しました。


観音寺山門


ピカピカの仏足石


ろうそく、線香、お経といつものお勤めをし、夜泣に良く効くお地蔵さんや、ピカピカの仏足跡や、クロガネモチの古木などを見て待っていると、納経所から順次取りにくるようにとの声。


白衣の襟に墨の色も黒々と、梵字が23字、印字されていました。( 諸仏菩薩の光明を二十三字に蔵めたり とか ) 

そう言えば、仏前勤行次第の中に、光明真言があったっけ!

♪ おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまに

      はんどまじんばらはらばりたやうん ♪



そして今回最後の井戸寺へ向かいます。

くねくねと生活道を曲がり曲がって歩きます。

畑ではジャガイモの花が咲いています。


ジャガイモの花(赤花)


井戸寺本堂


.9キロで17番井戸寺に着きました。


弘法大師と井戸の話はいろいろあるようです。


ここは、錫丈で一夜のうちに井戸を掘り自身の面影を映して石像を彫刻された、それがこのお寺の名前になったといわれています。




井戸を覗いて姿が映れば無病息災ですって!


今回の総歩行距離は7.6キロ。


実は、14番から17番までの4か寺は全て国府町内にあるのです。


ですから、少し歩けばすぐに次の札所に到着します。


姿が映っているかな


本堂前で記念撮影



国府町はかつて阿波の国の国庁の置かれたところ。

歩いたのは、車1台がやっと通れる狭い道。

その昔、藩政時代の幹線道路であったであろう街道を私たちは歩いてきたのでしょう。



無事に歩き終え、山間にある板野町の「あせび温泉」まで足を伸ばしました。


いいお湯でした。




              娘遍路

  TOPへ 前ページ 次ページ