遍路紀行

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遍路紀行 その12 水井〜民宿坂口屋 (H16.9.3)



遍路道沿いの渓流

16年9月3日

今年は、異常に暑いばかりでなく、久しく経験しなかった大きな台風にも一度ならず二度まで見舞われ、大変な夏になりました。

いまだ台風15・16号の大きな爪あとが癒えないまま9月になり、季節は秋へと移ろうとしています。

2ヶ月間の長い夏休みが終わり、からりと晴れた9月3日、第12回目の遍路に行きました。

車窓から見る草木は、台風にもまれて茶色く変色し、特に太平洋側は潮風の影響をもろに受けているようでした。

これから次第にいい季節になるはずなのに、これでは紅葉も全く期待できないと、気分は弾んできません。でも、何事からも目をそらさずにありのままを見て、受け入れなければならないでしょう。


さて、高知を8時に出発、前回到達の「水井」に11時30分に到着しました。

勝浦川沿いの「青木食堂」で昼食です。

広間の正面には大きなテレビ、カラオケセット、変装用カツラ、歌手の写真、鉄砲、猪や山鳥の剥製などが所狭しと置かれています。


味 100選店


店主と野々村真といのしし狩の写真

 


そして「たべあるき四国 味100選店」のステッカーが床柱に貼り付けてありました。

「あれは?」とイケメンの店主に尋ねると、目を輝かせて「四国の味100店舗のうちのひとつにこの食堂がはいっている」との話。

この店の自慢は、目の前の勝浦川でとれた鮎と冬のイノシシだそうで、今日のお弁当にも鮎の甘露煮が入っていました。



話しているうちに、店主、だんだん口が滑らかになり、歌手になりたかったが、デモテープを1万本自前で作ることと全国を売り歩くことは出来ないと諦めたとのこと。

今は徳島市のキャバレーで歌っているとか、太秦で作ったポスター用写真を見せたりとか、なかなか話が弾みました。


おやおや、久し振りで、話が脱線してしまいました。

彼岸花


ヤマジノホトトギス


葛の花


12時過ぎから歩き始めます。

山の中の木陰ですから暑さは和らぎます。

渓流沿いの日の当たるところにはもう彼岸花が咲いています。

良く見るとヤマジノホトトギスや葛の花なども秋の訪れを告げるように静かに咲いていました。


急坂のぼり道4キロを2時間かけて歩き、21番太龍寺の山門に着きました。

山門を過ぎ、鐘楼門をくぐると、樹齢数百年とも千年ともいわれる杉の大木があたりを覆い、霊気漂う深山の気配となってゆきます。


大師堂



大師堂の軒の灯篭



本堂



現在の本堂は、300年余り前の再建。どの堂塔も手の込んだ重厚な造りになっています。

本堂や大師堂の軒には、美しい灯篭に灯りが点され、参拝者の心を暖かく照らしてくれるようでした。

標高602メートルの山頂にある境内は広く、階段やみちが縦横に設けられ、数多い堂があちこちに配置されています。


本堂右の一段高いところに、多宝塔が建っています。木々の間から垣間見る姿は美しく、2階部分(?)は丸く造られているようでした。

平成3年にロープウェイが開通するまでは、車も門前に寄せ付けない霊気ただよう「西の高野」といわれた霊場でしたが、今ではロープウェイで本堂の前まで、だれでも簡単に行けるようになっています。




多宝塔


社務所の天井には龍の絵がかかれています。

この絵は、明治34年、高知県安芸市出身の画家、竹村松嶺氏が描いたもので、請雨・止雨の祈願するものとして、農林漁業に携わる人々に厚く信仰されているということです。


龍の天井絵


舎心ヶ嶽の大師像


本堂の下の道を左に10分ほど進むと急な上り坂があり、上りきったところに舎心ヶ嶽があります。


19歳の弘法大師が百日間にわたり「虚空蔵求聞持法〔こくうぞうぐもんじほう〕」を修法されたという断崖(舎心ヶ嶽)です。

この断崖絶壁に座り、100万回「真言」を唱えたというから凄いではありませんか。


大師はこのあと、土佐の国・室戸岬に旅立ったそうで、ここ太龍寺と24番最御崎寺は青年大師の修行の場所となっています。

今の季節の大龍寺には華やぎはありませんが、石楠花や紫陽花の時期は風情があります。

帰り道は、急坂を4.5キロほど下りて民宿・坂口屋前、国道195号線に到着。


白キキョウ


境内でゆっくりしすぎて帰りの出発が1時間も遅くなり、市街地では夕方のラッシュに遭遇するというハプニングもありました。

それでも、しっかりと「えびすの湯」でいろんな趣向のお湯に浸かり、疲れを落としました。


そして、久し振りの遍路の1日を楽しんでまいりました。

               娘遍路


コヤブラン


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