遍路紀行

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遍路紀行 その14 平等寺〜星越トンネル (H16.10.1)



秋晴れの平等寺

16年10月1日

猛暑と連続台風がいつまで続く?と弱音を吐いているうちに、10月になりました。


9月29日には、台風21号がまさかの鋭角針路変更をやってのけ、高知県を西から東まで横断通過するという、驚くべき状況が発生しましたが、30日からは、台風一過の涼風が吹くようになりました。


好天の10月1日、第14回目の遍路に行ってまいりました。

8時出発、阿南市には12時に到着。


早速の昼食は久し振りに散らし寿司とうどんの遍路パターン。

散らし寿司の中に甘い金時豆が入っていました。これが、なかなかいけるお味で、高知流「五目寿司」にも応用できそうでした。

また、久し振りのうどんに喜んだのは辛党遍路娘。一味唐辛子をさっさっさっと振る手が弾んでいたとか。


食後、22番平等寺へ。


鐘の向こうは大師堂


弘法の水



どのお寺でも道中でもそうですが、後になって、「あれを見ておいたらよかった、これを写真に撮っておきたかった」と、気づくのですが、こうやって前回最終のお寺にお参りをすることで、足りなかったところを補充できるのはありがたいことです。



しっかりと鐘を撞き、遍路車や霊水「弘法の水」も確認し、1時30分、次へと進みます。


早速に、23番薬王寺まで5里の道しるべがありました。


竹加工所

道路脇に、竹の工場がありました。大きな竹を10等分くらいに割り、さらに、節を取ってきれいにしたものを束ねていました。全て、機械処理です。


23番薬王寺へ5里




竹林


この竹は、土壁を塗るときに編むためのもので、日本建築のお家の漆喰壁を塗るときには欠かすことの出来ないものです。

そういえば、太龍寺へも竹やぶの中を通って行きましたし、山には竹がたくさん植えられていました。



前回、どこもかしこも彼岸花が満開でしたが、今では終わってしまってウソのように、全くありません。


ススキの穂が光り、コスモスや、露草、水引草がひっそりと咲いています。

道中でお年寄りが「ごくろうさまです」と声を掛けてくれ、ホット暖かいものを感じました。



ススキ


露草


「月夜」のバス停

山あいの舗装路を3.4キロ、50分ほどで、「月夜」というバス停を発見。

なんだかメルヘンチックな気分です。


それから少し行ったところ、舗装路から一段下の「月夜御水庵」で休憩です。

弘法大師が四国修行の折、手を洗う水がなかったので、山の岸をつついたところ、清らかな水が湧き出、その水で体を拭いたら元気になったとか。

その後、諸病の「大師加持水」として使われ、「お水大師」と言われるようになった。


月夜御水庵



お加持水


逆杉

また、大師が三日月の明かりで野宿しようとしたが、その月が山に入り明かりがなくなったので、お経を唱えたところ月が出てきたので、この地を「月夜」と名づけたといわれます。

ここには樹齢1000年とも言われる杉があります。

どの枝も一度は下に垂れてから上に伸びているところから「逆杉(さかさすぎ)」と呼ばれています。(阿南市天然記念物)


10分ほど休憩の後、舗装路に戻って歩きます。
物寂しい山中の荒れた道でした。


草むらの中に、白花のイタドリが咲いていました。


イタドリの花



歩道のある鉦打トンネル

やがて国道55号線にでました。

阿波の国から土佐の国への街道はいくつかあったようで、195号線が土佐中街道、55線は土佐浜街道と呼ばれるようです。

「鉦打(かねうち)トンネル」、次は「福井トンネル」、月夜から6.8キロで3つ目の「星越トンネル」に来ました。

このトンネルには歩道がありません。(前2つには歩道がありました)

「遍路は左を歩く」という方がいますが、道交法どおり右を歩かなければ、背後に目のないわれわれには危険極まりないトンネルだと思います。

でも、ご安心を。
出口は見えていました。そして出口では、「長尾鶏マーク」のバスが待っていてくれました。


今日はここまで。10.2キロ。2時間20分の歩行でした。


歩道のない星越トンネル

今日は「えびすの湯」でたっぷり時間をとりました。徳島でのお湯は今日が最後になるからです。

次回からは室戸回りになるとか。
高速道を14×2で28回通ったし、吉野川SAにも28回立ち寄りました。

随分たくさんお世話になってきた高速道、ちょっぴりお名残惜しい気分です。

次回からは、車窓からの風景が四国山脈から太平洋にがらりと変わります。

                          娘遍路

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