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ウツボグサの道
スイカズラ
10時に札掛に着いたら、予報どおりの雨でした。 今年の5月はどうしてこんなに雨が降るのでしょう? さて、しっとりと濡れて新緑がきれいな国道56号を大洲へ向けて歩いていきます。
単調な国道ですが、道路脇にはスイカズラが芳香を漂わせ、アマリリス・ムラサキツユクサ・ウツボグサ・コバンソウなどが初夏の彩を見せてくれます。
アマリリス
ムラサキツユクサ
ウツボグサ
コバンソウ
伊予の小京都・こんなお店も
1時間ほどで前回入浴した「臥龍の湯」の前を通り、大洲市内へ入りました。 しっとりとしたたたずまいの「伊予の小京都」といわれる町並を歩いていくと、そこは「おはなはん通り」でした。 嘗てテレビで連続放送された「おはなはん」の主人公「はな」が明治18年に誕生し、幼少時を過ごした町です。
大洲は木蝋・繭の主産地として栄えた土地で、白壁の建物群が昔日の面影を残しています。
古い漆喰壁の建物
おおず赤煉瓦館
札掛から5キロ、1時間半でした。 「大洲のまちの駅・あさもや」で昼食後、30分ほど町並みを見て歩きました。
おおず赤煉瓦館(旧大洲商業銀行本店)・肱川べりに浮かぶ鵜飼の舟・その向こうの大洲城・昔懐かしい看板などが並ぶポコペン横丁などを散策し、ほのぼのとした気持ちにさせていただきました。
肱川の鵜飼舟と大洲城
懐かしい看板
午後は12時20分に出発。 弱雨とはいえ雨は降り続きます。 スニーカーはそろそろ中まで水が浸み込んできそうな気配。 お薦めの対策はビニール袋を履くことです。 靴下の上にビニール袋を履かせてから靴を履けば足は濡れません。
懐かしい三輪トラック
肱川橋を渡り、56号線をひたすら歩くこと4.3キロ、1時間で、番外・十夜ヶ橋(とよがはし)へ到着です。 ここはお大師様がこの地へ巡錫されたとき、行き暮れて、橋の下で一夜を過ごされたところです。
肱川橋を渡る一行
十夜ヶ橋
お大師様は、余りの寒さに一夜も十夜に感じられ 「行きなやむ憂世の人を渡さずば一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠まれました。 橋の下には「寝大師さま」が休まれていました。
ところで「橋の上では杖をつかない」のが遍路の作法。 そうです。 橋の下にはお大師様がいらっしゃるかもしれないから、杖をついて音を立てては畏れ多いので慎むというのは、この十夜ヶ橋から生まれた遍路の作法なのです。 感慨深くお参りをして、道を進めます。
寝大師さま
五十崎から遍路道へ
1時間半ほど歩いて、五十崎(いかざき)から道を左へとり、山越えの遍路道へ入りました。 今日はずっと舗装路ばかりでしたから遍路道へ入ってほっとしたのですが、雨でぬかるんだ道で靴もズボンの裾も泥だらけ。 それでも、草イチゴの赤い実やウツボグサの群生、トキワツユクサやウツギの白い花に出会えて、この道を歩いてよかったとつくづく思いました。
25分ほどで「内子運動公園」に来ました。 サッカーの練習に来たのでしょうか、高校生達が向こうから「コンニチワ!」と声をかけてくれます。
ウツギ
トキワツユクサ
内子座
十夜ヶ橋から9.3キロ、2時間20分で、内子(うちこ)の町へ到着しました。 標識を見て狭い路地を入り「内子座」を見に行きました。 内子座は大正天皇の即位大典を記念して造られた歌舞伎座で、その後の時代の変遷に伴い、映画館や商工会館に転用されてきたものを、昭和50年代からの内子町の歴史的環境保存運動の一環として復元されたそうです。 内子座の威容はコンパクトデジカメには入りきらず、一部分しか撮影できなくて残念でたまりませんでした。
また、内子の古い町並みが残っているのは坂町地区・八日市地区・護国地区で、昔は市や四国遍路で賑わっていたそうです。 古を味わいながら内子の町を通り過ぎ、内子橋まで歩き、今日の予定地に到着しました。
内子の町並み
内子の町で先達さん
公共の温泉宿・龍王荘で汗を流し、17時30分、帰途に着きました。 次回は6月9日、内子橋〜楽水大師堂〜上田渡薬師堂、です。 娘遍路