遍路紀行

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遍路紀行その61 71番弥谷寺〜72番曼茶羅寺〜73番出釈迦寺
(H19.6.8)


右のろうそくの後ろが玉依御前では?



本山寺仁王門

9時20分、本山寺駐車場に到着、総勢30名の今日の遍路が始まりました。

本山寺へは、駐車場側の山門から入ってお参りを済ませ、八脚門といわれる造りの仁王門(国の重要文化財)から、退出しました。



ぐみ


ため池とトンボ


町なかを過ぎ、ため池のほとりを歩きます。

びわやぐみの実が熟れているのも初夏らしく、熟れるのを待ちかねて食べた子供の頃が思い出されます。

飽食の時代の子供達は、口中に渋をこびりつけながらぐみを食べるということはないでしょうね。

今は昔となってしまいました。


びわの実



タマネギ豊作!

昼食までに、弥谷(いやだに)山の麓にある「ふれあいパークみの」まで11.4キロを歩く予定なので、途中、休憩をかねてスーパーでパンなど買ってエネルギーの補給。

田園地帯へと入っていきました。

タマネギの収穫時期でしょう、畑にいっぱいのタマネギが干されていました。



石仏



1時前に「ふれあいパークみの」に到着、昼食休憩です。

午後は1時40分から弥谷寺に向かいます。


弥谷寺山門



石段、石段、石段

71番・弥谷寺(いやだにじ)は、石段と石仏の多いお寺さんです。

山門をくぐり薄暗い木立の中を、崖を縫うようにくねりながら続いている長い石段、その脇の岩肌には石仏が随所に置かれています。


かつては「死霊のいく寺」といわれたとか、この辺りでは、人が亡くなると誰かがその霊を背負ってこの寺へ運んでくるという慣わしがあるそうです。

急な石段を上がると大師堂。
さらにくねって上がって本堂。

その間にはたくさんのお堂がありますが、その殆どは半石窟、半伽藍で、岩盤の中に堂宇があるという状態です。





本堂近くの岩盤には阿弥陀三尊やそのほかたくさんの摩崖仏がほられていますが、長い年月で自然に風化され、細かいところは消えています。


阿弥陀三尊


石仏たち



弥谷寺本堂


一番高いところにある本堂でお参りし、下りて大師堂。

靴を脱いで大師堂内へ入り、正座して読経です。

廊下を奥へ進むと、ほの暗い中にろうそくが灯され、数々の仏様が見えます。

「獅子の岩窟」といわれるところで、お大師様が「真魚(まお)」と呼ばれていた幼少の頃、この岩窟で修行されたとか。




何かで、この中に大師の母「玉依御前(たまよりごぜん)」の像があると読んだことがあり、今回の遍路では是非とも玉依御前像を拝みたいと思っていました。


偉大な子供を育てた母御前。
どこまでも広く深い心と慈愛に満ちたまなざしでわが子を慈しんだことでしょう。


で、先達さんに訊いてみましたが、「真魚の像」だとしか・・・。

それでも正面の仏陀の後ろに見えるのがきっと「玉依御前」に違いないと、自分勝手に決め込んで「お母さま・・・」と手を合わせたことでした。


大師堂では正座です



俳句茶屋

帰り参道で、俳句茶屋の主が、「疲れたときにはビタミン補給」ともぎたての枇杷をご馳走してくれました。甘酸っぱくて、本当に疲れが取れたようでした。

参道途中から、左の遍路道へ。

竹林を過ぎ、高速道をくぐり、国道11号へ出て、また旧道へ入り、4キロ、1時間で、73番・出釈迦寺(しゅっしゃかじ)へ着きました。


大師7歳で衆生を救わんと決意、我拝師山の頂から深い谷へ身を躍らせたところ、天女が大師を抱きとめ、釈迦如来が「一生成仏」と言ったという。

後年、大師の足跡をたどったという漂泊の詩人・西行はこの地が気に入り、近くに草庵を結んだそうです。


竹林
  


出釈迦寺の大師像
後方の建物が奥の院



曼荼羅寺本堂



後先になりましたが、72番・曼荼羅寺(まんだらじ)は出釈迦寺から数百メートルのところです。

境内には、大師お手植えの樹齢1200年の不老の松(笠松)があったのですが、5年前に松くい虫のために枯死してしまったとか、なんとも惜しいことです。

今はその幹に大師像を刻んで名残を留めています。

今日はここまで。
さすがに6月、汗になりました。

たかせ天然温泉で、汗と、弥谷寺のおよそ500段もの石段のつかれを流して帰ってまいりました。



笠松の写真


次回は6月29日、出釈迦寺〜甲山寺・善通寺・金倉寺〜道隆寺です。


          娘遍路


笠松に彫られた大師像

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