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結願、やりました!
志度寺山門
いよいよ結願へ向けての1泊2日の遍路です。 11月30日、天気晴朗。 40人ほどの一行が長い列を作り、道の駅・むれ(牟礼)を出発。 20分ほど行くと、江戸時代中期に「エレキテル」ほか多様な分野でその才能を発揮した平賀源内さんゆかりの志度町にやって来ました。
記念館などのあるしっとりと落ち着いたたたずまいの町並みを、さらに20分、86番志度寺(しどじ)へ到着です。 牟礼から 3.8キロでした。
五重塔
境内の黄葉
大きく逞しい仁王さま(鎌倉時代・運慶作)のいる立派な仁王門の奥の鮮やかな黄葉、左の赤い五重塔が目を引きます。 広い境内に入ると、たくさんの木々が紅葉・黄葉・落葉と、目を見張る晩秋の風情。
本堂前に来て、1年前までの3年間を一緒に歩いて下さった懐かしい先達さんの姿を発見、喜びのざわめきが広がりました。 今回、一緒に歩いてくださるとのこと。 一同の仏前勤行にも自然と喜びがあふれます。
お久しぶりです
海女の墓
奈良時代、藤原鎌足の供養にと鎌足の娘(唐の高宗皇帝の妃)が船で宝珠を送ってきたが、志度の浦で竜神に奪われた。
兄・不比等は宝珠を取り返そうと都からやってきた。地元の海女との間に男子(藤原房前:ふささぎ)が生まれた。 海女は自分の命と引き換えに、海に入り竜神から宝珠を取り返し、房前の立身を願いながら命絶えた。不比等は海女を弔い堂宇を建て「死度(後に志度)道場」(志度寺の開基)と名づけ、房前を連れて都に帰る。
ところで、志度寺の背後には極楽浄土へ通じるといわれた穏やかな志度湾が広がり、この湾を舞台にした「海女の玉とり伝説」が残されています。
日切地蔵尊で
房前は母の願い通り大臣にまで出世する。 房前は母の供養にと堂の増築と千基の石塔を建て、今も志度寺の境内に苔むした「海女の墓」が静かに佇んでいる。 志度寺を出て長尾寺方面へ15分ほど歩き昼食休憩。午後は12時30分からです。 5キロほど行くと、日切地蔵尊(玉泉寺)があり、銀杏落葉がきれいな黄色の絨毯になっていました。
数分の滞在のあと次へ。広瀬橋を渡り、長尾橋を渡り、志度寺から7キロで87番長尾寺(ながおじ)の山門をくぐります。 境内の大きな楠が寺の長い歴史を物語っています。
長尾寺本堂
剃髪塚
18世紀終わり頃の、小豆島肥土山の接待講が出張「常接待」していたといわれます。 傍らの大師像の柔和な顔が心を和ませてくれました。
本堂左には静御前の「剃髪塚」。 源義経の愛妾・静御前が、義経亡き後、母の出身地であるこの地で得度し、「宥心」と称したという。 86番の海女のお話に続く、静御前の物語。 遍路とは生きること。生きることとは愛すること。 結願を目前にして、テンションはどんどん上がります! 長尾寺から約3キロ、一心庵で休憩です。
道中こんなお墓も!
穏やかなお顔のお大師様(一心庵)
一心庵から2キロほどで前山ダムの「お遍路交流サロン」に到着。 ダムの水位はこの秋の少雨の所為か、ひどく下がっていましたが、山の黄葉は夕方の陽を受けて美しく輝いていました。 お遍路交流サロンでは、歩き遍路の完歩を記念して「四国88ヵ所遍路大使任命書」という、氏名入りのありがたい証書をいただきました。 一日目はここまで。
前山ダム
朝日を受けて
翌12月1日、8時半、前山ダムから女体山越えの道を歩きました。 高知県とは違って、杉檜の植林が少ないのは雨の少ない土地柄のためでしょうか、クヌギなどの落葉樹が山を黄色く染めて美しい秋を満喫。 カサコソと落葉を踏んで歩く遍路道は、足にも心にも癒しをくれました。
女体山頂上近くは、岩や木の根っこを掴んでよじ登るような難所もありましたが、6.6キロで頂上、全員無事に山を越すことができました。 上りが急坂なら下りもまた急坂でした。 1キロほど降りたところで「奥の院」へお参り。
険しい道をよじ登ります
ベンチと落ち葉
200メートルほど下が結願の88番・大窪寺(おおくぼじ)でした。 大窪寺は早くから女性の入山を許したということで、「女人高野」とも呼ばれたとか。 山肌にへばりつくように本堂が建っています。
黄葉の遍路道
4年の長期計画、一歩一歩を積み重ねて繋いできた1280キロの遍路道。 本堂前でバンザイをする人、「おめでとう!」と握手しあう人、お互いを労いあい、喜びと感動に浸りました。
女体山頂上から
結ばれた「結願」
大師堂での勤行の時にはひどい雨になってしまいました。 大師堂横にあるたくさんの「大師像」、燃え続ける「原爆の火」、打ち終えて納められた夥しい数の杖が保管される「寶杖堂」。
奥の院
そして空からも、感動の涙が! 下り坂だった空からの「涙雨」が本格的な雨になりました。 お勤めは本堂内です。 「6人7列っ!」号令もひときわ甲高く、ハイテンション。
大窪寺
山門と紅葉
山門脇の鮮やかな紅葉。 降り敷いてもいましたが、まだ木にも残っていました。 小さな雨粒や空気の動きに、わが身のほんのわずかな重さを託してはらりはらりと散っていきます。
何のこだわりもなく、ありのままの姿で散っていくことの美しさ。 何百年を日本人の心に生き続けてきた一句が浮かびます。
原爆の火と寶杖堂
納められた大師像
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」 (元句:裏ちりつ表を散つ紅葉哉 谷木因) 40歳も若い貞心尼に最期を看取られながら、元句を分かりやすく作り直して「辞世」としたという良寛さん。 散る紅葉に生きるということを教えられ感動するのはここが結願寺だからでしょうか。
結願寺にふさわしいたくさんの物語や感動をゆっくり味わいたいところですが、12月の冷たい雨と空腹のため、退出。 門前の食堂での昼食には、お赤飯が添えられていました。
残りの紅葉
人の心が温かいお地蔵さん
食後、徳島へ向けて市場町相栗までの7.3キロを歩いて本日の予定は終了。 4年ぶりに吉野川SAの「美濃田の湯」での入浴でした。 (筆者は遍路前日からの体調不良が悪化、昼食後迎えの車で早退。晴天の12月9日に、残した7.3キロを歩いてきました)
こうしてめでたく結願(1番から88番まで打ち終わること)したのですが、さらに1番まで歩いて遍路道を環に繋ぐのが「満願」とか。 私達は満願を目指してまだ歩き続けます。
初冬
次回は来年2月1日、相栗〜8番熊谷寺までです。 娘遍路