遍路紀行

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遍路紀行 その23 芸西〜戸板島橋 (H17.4.22)



キンポウゲの咲くサイクリングロード



タツナミソウ


百花繚乱。
あっという間に咲いては散った桜。
季節は急ぎ足で進んでいきます。

よく晴れた4月22日の第23回の遍路行は、芸西から歩き始めます。

9時半、日差しのきつい海沿いのサイクリングロードからは、見慣れた風景が広がります。



夜須ではサツマイモがトンネル栽培されています。

今では美味しい品種のイモが各地で栽培されていますが、昔から「手結(てい)山のイモは美味しい」と言われてきたのは、海沿いの水はけのよい土地によく合っていたからでしょう。


手結漁港からヤシーパークへ



シラン


テッセン



安政地震の碑の看板


約4キロで手結(てい)の「道の駅・やす(ヤシーパークの隣)」に到着、休憩。

月見山の麓からは旧道・岸本の町へ入ります。

道中の民家の庭は思い思いの花で、春、真っ盛りです。



安政の地震を記録した記念碑や絵金記念館を過ぎ、日本一小さい町・赤岡へ入ります。


赤岡は町絵師「絵金」ゆかりの町、毎年7月には「絵金まつり」で賑わいます。

従来各民家で保管されてきた貴重な屏風絵をまとめて保管できる「絵金蔵(えきんぐら)」ができていました。


絵金の暖簾がかかった町家


絵金蔵


絵金蔵には絵金絵の常設展示(複製絵、本物は2枚展示)もされており、絵金まつりの日だけでなく、年中見られるようになりました。



再び国道に出て、「道の駅・やす」から5キロ、11時半に野市町の「かとり」へ到着、昼食休憩です。


靴を脱ぐ前の心づくしの冷たいお茶、はきはきした声かけ、山盛りの生野菜と季節の食材たっぷりの美味しいご馳走。遍路たちの評判は上々でした。


どろめ祭りのポスター


吉祥寺への道しるべ

(昔の遍路道)



烏川沿いに歩く


12時半、大日寺を目指して出発します。

烏川沿いの遍路道では「この道をよう知っちゅうねえ。今ではこの道を通る遍路はおらんぞね。高知の標準語が聞こえたと思うた。」と声をかけてもらいました。


途中、龍馬歴史館、四国自動車博物館、野市動物公園、青少年センターなどを左に右に見ながら3.5キロ、1時過ぎに28番札所・大日寺に到着しました。

山門前では、昨年夏脚を傷めてやむなく遍路行を中断した元遍路娘さんが迎えてくれて、大感激です。


青空に泳ぐ鯉


筍は?


大日寺本堂


大日寺は3月18日の神峰寺以来の札所です。

遍路札、納経、ろうそく、線香などのあとは、日陰を選んで本堂・大師堂と仏前勤行です。


続いて奥の院(爪彫薬師)に参拝。

爪彫薬師は首から上の病にご利益があるといわれ、平癒のお礼は穴の開いた石を奉納するとか、社の周りには穴あきの石がどっさり置いてありました。



大師堂


奥の院



お参りもそこそこに、元遍路娘さんがいる山門前に急ぐと、野市の「エチオピア饅頭」と冷たい麦茶を用意して待っていてくれました。


久しぶりの挨拶もにぎやかに飛び交い、「相変わらず賑やかじゃねえ!」の言葉と、ありがたいお接待をいただきました。

(影の声)・・”誰かが「お接待」を強要したんじゃない?” ワイワイ ”誰も強要なんかしてないよ” ガヤガヤ


うれしいお接待


久しぶりに揃ったメンバー


一息ついた後、大日寺をあとにして約2キロ、物部川に架かる戸板島橋に到着。

野市の龍馬の湯で汗を流し、今日の予定は終了です。



全員集合


豆知識(菅笠の文字 その1)

迷故三界城:無知によりあれこれと迷うから、欲望・物質の観念の世界にとらわれ苦しむのである。


白いタイツリソウ


シャガ



物部川の堤に
はためいていたフラフ


アヤメ


次回は5月13日、戸板島橋〜国分寺〜善楽寺の予定です。



       娘遍路

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