遍路紀行目次 HOME
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種間寺の蓮
合歓
5月からの少雨傾向は入梅後も続き、「今年は空梅雨?」の心配が現実のものになりかかっています。 四国の水瓶「早明浦ダム」は、平成6年の大渇水時よりも速いペースで水位が下がっており、6月20日には水没した旧大川村役場の庁舎がダム湖から現れたと新聞報道されました。 自然の営みが穏やかにバランスを取り戻してくれることを祈らずにはいられません。
さて、6月24日、4週間ぶりの遍路の日も晴れ上がり、暑い一日となりました。 9時半、三里から歩き始めます。 1.7キロ20分で種崎へ。 種崎から御畳瀬(みませ)へは「海の遍路道」といわれる県営渡船で5分。 渡船は概ね1時間に1回運行されています。 浦戸大橋を下から眺めているとあっという間に着きました。
浦戸大橋
壊れかけた木戸門
その昔、御畳瀬は土佐の重要な玄関口、由緒ありげな木戸門も見えました。 長浜の町通りで竹の火屋囲いで火を焚く、焼き魚作りのおじさんがいました。 遍 路 :「暑いねえ、どればあ焚いたら、焼き魚になりますか?」 おじさん:「2時間ばあ、焚かあよ」 遍 路 :「焼きだちは美味しいでしょうねえ」
おじさん:「そりゃ、うまいぜよ」 お兄さん:「歩き遍路ならではですね」 遍 路 :「そう! 歩いていたらこんなのも見られるし」 お兄さん:「車では見えませんよね」 遍 路 :「これが良いのよねえ、季節も暮らしもゆっくり味わえるもの」
炎天の焼き魚作り
ノウゼンカズラ
ヤブカンゾウ
ちなみに「お兄さん」は地元TV局のカメラマン。 「日帰り歩き遍路ツアー」という新しい形の遍路を取材したい、ということで御畳瀬から雪蹊寺まで先になり後になり同行しました。
で、焼き魚に釣られて喜んでいたら、いつの間にか取材をされていたというわけでした。 他にも「イキイキ笑顔のアップ」「歩く足元」「指名インタビュー」などで、いつもよりもさらに賑やかな遍路になっていたようです。 「こんなにどっさり居るのにどうして僕にインタビューするの?」 「ハンサムだから」 「キャーッ!!」
雪蹊寺へ(ビデオカメラとマイクが迎える)
雪蹊寺本堂
1.5キロ、20分で33番雪蹊寺へ到着、石柱の門から真新しい本堂が見えます。 雪蹊寺は、もとは高福寺と言い、鎌倉時代から寺運盛んだったが、戦国時代に荒廃、長宗我部元親の依頼により月峰和尚が再興したものです。 現在でも鎌倉時代の仏像など重要文化財が多数残されています。 元親の死後は菩提寺となり、元親の法号(雪蹊)をとって、雪蹊寺に改めたといわれます。
本堂の裏手には、22歳で没した元親の長子信親の墓がありますが、今では訪れる人も少ないようです。
田園地帯を行く
信親の墓所
案内のお地蔵さん
雪蹊寺を出て西へ3.8キロ。1時間足らずで春野町の田園地帯の西諸木(にしもろぎ)に着き一旦昼食休憩です。(「はるのの湯」内のレストラン) 午後は1時からすぐ近くの種間寺へ向かいます。 ところが、すぐ近くなのに遠いこと遠いこと。 暑さと食後のためヘロヘロです。
オクラ
白い蓮
ピンクの蓮
花の終わりの蓮
種間寺の石柱門
2.7キロ30分ほどで、ようやく34番種間寺へたどりつきました。 前の田んぼには一面の蓮の花が咲き誇っています。 種間寺も雪蹊寺同様石柱の門構えです。 開創は577年、土佐の札所では一番古い歴史を持っています。
種間寺本堂
子育観音(底なし柄杓が並んでいる)
そして、合歓、ノウゼンカズラ、ヤブカンゾウ、オクラなど、夏に向かって輝く花たちに励まされていることに気づきます。
大師堂前のお地蔵さんたち
アジサイ街道は盛りを過ぎて
仁淀川の土手
「はるのの湯」でゆっくりし、6時半からの今日取材されたテレビ放送を楽しみに帰途に着きました。 豆知識(菅笠の文字 その3) 本来無東西 : 自我がなければ敵も反対者もなく常に平和で静かである。 次回は7月1日、高岡〜清滝寺〜塚地峠〜三陽荘の予定です。 娘遍路
はるのの湯で湯ったり