遍路紀行

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遍路紀行 その27 高岡〜清滝寺〜竜海岸 (H17.7.1)



宇佐大橋



オモダカ


今年も早いもので一年の後半へ入ります。

待てど暮らせど雨の降らなかった四国は、からからに乾き猛暑の6月でした。

貯水率が下がり、危機状態の四国の水がめ「早明浦ダム湖」。

湖底から現れた旧大川村役場はその惨状を全国ニュースで報道されるに至りました。



ところが、6月30日の夏越の祓えがきっかけになったかのように、7月1日は打って変わった梅雨空になり、雨催い。


9時半、土佐市高岡を歩き始めるときには「傘をさしたほうがいいかも」状態で、市街地を抜け、北へ向かって歩きましたが、間もなく「傘は要らない」ようになりました。


雨はすぐに止みました



ハンゲショウ


ところで、前回地元KUTV局の取材を受けた私たち一行ですが、ナント!今回は地元高知新聞社の記者が同行・取材という続けざまのハプニングに驚きました。


久しぶりのお湿りもうれしく、若いハンサムな記者さんの同行にも心ワクワク、そのうえ高温多湿の外気で蒸されて、熱気むんむん、汗が流れ止まない遍路行となりました。



田んぼ脇の湿地に今ではめったに見られないオモダカやサクラタデが可憐に咲いているのを見ながら、高速道をくぐり、清滝寺がその中腹に見える山のふもとまで来ました。

そこから八丁坂・流汗坂といわれるかなりきつい坂道が続き、最後に山門への長い階段を登って、高岡から3.5キロ、約1時間で35番清滝寺に着きました。

サクラタデ


山門への石段



もひとつ、本堂への石段


ようやく到着、本堂と阿弥陀如来



大師堂


正面の本堂の前には高さ9メートルという大きな薬師如来像が立ち、右の奥にはこの寺の由来になっている滝があります。

滝とは名ばかりの小さなものですが、それでも清らかな湧き水が流れていて、夏遍路にはうれしい涼をいただきました。




元の仲間からのお接待

観音堂では、徳島を一緒に歩いた当地の遍路仲間が冷たい飲み物などを用意して待ってくれていました。

記者さんも一緒にしばし談笑、都合で一緒に歩けなくなった今でもこうして会いに来てくれるなんて本当にありがたいことです。


滝・・?



いざ、お砂踏みへ

お参りを済ませ、大きな阿弥陀如来像の横での「お砂踏み」。

堂の中へ入ると、はじめは「暗いなあ」程度でした。そのうちに真っ暗闇になりました。

これほどまでに何にも見えない暗黒を経験したことがありません。一人だったら恐怖に震えたことでしょう。


記者さんもすっかり仲間に



さて、もと来た道3.5キロを引き返し、ここで記者さんとはお別れです。

高岡で昼食後、宇佐へ向かって南へ。

道路沿いに石材屋さんが目に付きます。

塚地は古くは「石工の里」であったとか、その卓越した技術的伝統が今でも数軒の石材屋さんに引き継がれ、残っているようです。


いつも元気な先達さん(左から2人目)



塚地の石材屋さんの作品


茂みの中のヒメヒオウギスイセン


ムラサキニガナ



塚地休憩所から山道へ


塚地トンネル(837メートル)の手前の休憩所で一休みの後、塚地峠へ向かって山道へ入ります。

トンネルができてからはハイキングの人か遍路しか通らないという、羊歯や苔の生えた自然のままのかなりの急坂を、およそ1キロで峠(標高200メートル)です。

高岡から5キロ、1時間半。



この道は、その昔、車も氷もない時代、宇佐で取れたカツオを背負った行商人たちが高岡や高知へ向かって韋駄天のように日暮れの塚地峠を越えたということで「夜売りの道」といわれたそうです。


下りは、谷沿いの道に鮮やかに咲くヒメヒオウギスイセンやムラサキニガナ、鬱蒼とした茂みに隠れている磨崖仏、安政地震の碑などを見ながら進むうちに、宇佐の町に出ました。


苔に埋もれそうな磨崖仏



安政地震の碑


宇佐大橋を渡り、海沿いに歩いて竜海岸の「四国のみち休憩所」まで、5キロ、1時間半足らずで到着。


疲れを癒してくれるかのように、ネジバナやヒナギキョウがやさしく迎えてくれました。

今日の総歩行距離は17キロでした。



ネジバナ


ヒナギキョウ

今回は年の前半の最後の遍路でした。
恒例によって、7〜8月は夏休みになります。
9月2日は青龍寺を打って横波三里を歩く予定です。

暑さ厳しい折柄、どちら様もどうぞご自愛くださいますように。

                 娘遍路


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