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2日を歩き終えた一行
カカツガユ
いつものように8時に出発し、大岐海岸を歩き始めたのは予定より1時間近く遅れて11時50分。 前回同様雨催いですが、濡れた傍らから乾いていく程度です。 国道から、「カカツガユ(別名ヤマミカン)」(土佐清水市の天然記念物に指定されている)というツル性の植物が数株自生している防風林を抜け、大岐海岸に出ました。 どんよりとして海の色も灰色です。
大岐海岸から一般道へ上がるのに、遍路道標が示す矢印どおりに岩場を進みました。 これがまた凄い遍路道で、切り立った崖を励ましあいながらようやくよじ登るとなぜか民家の庭へ出てしまいました。 みんな無事によじ登ることはできましたが、添乗員さんが民家の主に怒られんことか!
岩場の遍路道?実は間違いで
この後殆ど絶壁の崖のぼりに
後で聞けば、遍路道標が90度曲がっていたため、そこから上に進むべきところ、左へと進んだのです。 その崖では過去に何人もの方が転落事故を起こしているとか。 そんなハプニングで今回の遍路は始まりました。 4.2キロ、1時間。13時に以布利(いぶり)へ到着。バスで10分ほどの「足摺黒潮市場」で昼食。
センリョウ
コムラサキ
午後は14時10分に以布利からです。 浜から続く山の遍路道には、センリョウが自生しており、きれいな赤い実をつけていました。 日当たりのいいところには石蕗の黄色い花がいっぱいです。 やがて窪津。藩政時代はクジラ捕りが盛んだったとか。 土佐清水市は味のいい「宗田節(そうだぶし)」生産で有名です。
石蕗の咲く道
ヤマイモの実のネックレス
あちこちから宗田鰹を茹でる匂いがしてきます。 以布利から7キロ、津呂まで来ましたが既に16時半。 一行をリードする先頭集団に焦りの色が・・・。 「足摺までまだ6キロ以上ある」 「このままでは日没はおろか、天気も悪いので暗闇を歩くことになる」
鰹節製造工場(窪津)
イセエビ網を繕う漁師さん(窪津)
次第に夕闇が迫ってくるし、風景を味わうゆとりもなくして、最後には「競歩」のようなスピードで第一陣が足摺岬に到着したのは17時半頃だったでしょうか。 「足摺国際ホテル」での夕食タイムは、ハプニングに始まった今日の話題とプレゼントの籤引きなど、今年一年を締めくくる賑やかなものとなりました。
夜は足じゃんけんで盛り上がりました
足摺の夜明け
雨の上がった翌朝、7時30分に、38番・金剛福寺へ参拝です。 10月21日の37番・岩本寺以来、100キロの道を歩いてきたことを思うと感無量です。 8時に金剛福寺を後にし、30分ほど、岬の展望台からの白い灯台や、足摺七不思議を観光し、遍路が始まります。
金剛福寺・山門
本堂での勤行
根回り12メートル、野宿できるほどの空洞を持つ、天然記念物のアコウ樹は遍路道から少し入った松尾天満宮の境内にありました。(道草が得意な麗は走って見に行きました) 松尾からは山を越え、中の浜まで5.7キロ、1時間半でした。
中の浜は、列国に開国を迫られた幕末に通訳として活躍、近代日本へ大いに貢献した、かのジョン万次郎の生誕地です。 そして土佐清水市中心街から半島東側の以布利へ山越え、中の浜から3.3キロ、1時間で以布利の近くの鹿島公園に到着、昼食休憩です。 13時20分、鹿島公園を出発、大岐海岸へ5キロ、1時間20分をひたすら歩きました。
大師堂
大亀に健康祈願
白い灯台が見える遊歩道
椰子に根付いた足摺ノジギク
来たときと同じ道ですが、晴天で、太平洋はどこまでも青く澄み切っていました。 14時40分、予定地の大岐海岸へ到着。 日程表の予定では2日間で36.3キロとなっていますが、上田先達さんは「40キロは歩いとるだろう」とのことでした。 今回は何度かの山越えもあり、たっぷり歩いたように感じました。
エンドウ
ブーゲンビレア
中浜万次郎生誕地(中の浜)
また、前回同様、お接待をいただいた上にずうっと同行してくれた四万十市のカメラマンが大岐海岸で記念撮影をしてくれました。人はありがたいとつくづくと思います。
松尾のアコウ樹 (下の空洞に人が入れます)
昼食休憩中
高知県内の札所は、39番の延光寺を来年に残し、今年は今回が最後になりました。 昨年1月、4年という気の遠くなりそうな長期計画の遍路の道を歩き始めたのですが、皆様の励ましを受けながら2年が経過、半ばまで来ることができました。 来る年も初心を忘れることなく18年1月13日から続けていきたいと思っております。 皆様方には、どうか穏やかな新年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。 娘遍路
大岐海岸へ帰着