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若一王子宮秋祭り(寺内の太刀踊り) 高知県大豊町寺内
平成20年10月10日(旧暦9月12日)


本殿前で太刀踊りの奉納



氏子周りは軽トラで


大豊町は、標高200〜1400m(平均標高450m)、棚田や傾斜畑として耕されている耕地が町総面積の1.1%しかないという急傾斜の山岳地帯です。


四国のほぼ中央部に位置しており、古来から交通の要所でした。



奈良時代には、僧行基によって大田山豊楽寺(日本三大薬師のひとつ・柴折薬師)・粟生山定福寺(裏山は山野草が豊かな万葉植物園)が建立され、また、藩政時代には参勤交代の道が整備され、土佐三番所にあげられる立川番所も置かれ、国防の要でもありました。


本殿と神殿の美しい屋根



国宝・豊楽寺


ということで、古い歴史と伝統を今に伝え、ふるさとの原風景とも言える豊かな自然と人情をもつ大豊町ですが、近年は過疎化・高齢化(高齢化率51%)の厳しさに直面しています。

そうした厳しいなかでも、町内各地には、神楽・百手・獅子舞・太刀踊りといった伝統の文化が残され、神祭の日にはそれらが奉納されています。



さて、今回は、寺内東・寺内西・大田口の三部落の氏神様・若一王子宮の秋祭りへ行ってきました。


若一王子宮は国宝・豊楽寺の裏手にあり、三つ葉柏(山内家の家紋)の紋を掲げた立派な本殿と神殿が建ち、周辺にはいくつもの小さな社や祠が建てられていました。

本殿正面の三つ葉柏の紋



帰ってきたお神輿



太刀踊り


午前中、各氏子の家を廻ったお神輿が昼過ぎに神社へ帰り、昼食後神事、そして、午後3時前には踊り子達が集まってきました。


白衣、黒袴、白足袋、赤いたすきに紅白の鉢巻をきりりと締め、手には刀を持っています。



太刀踊り


太刀踊り



拍子木のリズムで唄い手が朗々と唄う曲に合わせて、家内安全・五穀豊穣を祈って太刀踊りが奉納されます。


赤い鉢巻は「切太刀」、白い鉢巻は「受太刀」、二人一組での踊りです。

今回は平日という事もあり、踊り手が少なく3組6人が踊りました。

多いときは7〜8組が踊るそうです。


太刀踊り



太刀踊り


手に持つのは真剣ではないとのことですが、速いテンポで10分ほど少しも気を抜くことなく踊り続けるので、かなりハードな踊りです。


踊りも掛け声もきりっとして、奉納する踊り手たちの真剣さが伝わってきました。

ここまでにはかなりの練習を・・・と聞いてみると、

「直前の練習はしてないが、一度覚えたら、年に一回でもちゃんと体が覚えている」とのこと。


この太刀踊りは高知市北部の鏡村から伝わったもので、歴史は浅く、100年ほどですが、すでに地区の伝統文化として、大豊町の無形文化財に指定されており、子供達にも伝えられています。

その子供達が大人になって神前で太刀踊りを奉納し、そのまた子供達に伝え、絶えることなく引継いでいってくれることを願いながら若一王子宮を後にしました。

            


苔むしたお地蔵様たち


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